10年前の「反復」がもたらした日本のコロナ危機 「中止だ中止」と言えない主権者と無責任の体系
グローバルな感染拡大の始まりから約1年を経て知見と経験が蓄積したいま、何をしなければならないか、何をしてはならないか、かなりはっきりしてきている。新型コロナウイルスの性格上、PCR検査を中核とする検査体制を大幅に拡充し、できるだけ多くの感染者を捕捉し、隔離しなければならない。
しかも、検査における偽陰性や偽陽性の問題をクリアするために、また医療や介護の関係者といったリスクの高い人々のためには、頻回検査が必要である。これを実行するためには、大々的な検査・隔離体制の確立と運用が絶対的に必要である。そしてそのためには、保健所だけでなく民間のPCR検査機関、大学等を有機的に組み合わせた体制を構築せねばならない。
しかるに、いまだにこの体制ができておらず、国家による体制構築の決断さえなされていない。初期に定められた検査抑制の方針が今日でも亡霊のように漂っている。日本で新型コロナ感染がはじまったとき、PCR検査体制の不備を理由に厚労省が検査抑制の政策を採ったことには一応の合理性があったのかもしれない。
だが、いまとなってはこの体制の構築ができていないのは、恥ずべきことだ。とりわけ、ほかならぬ日本のメーカー(PSS社)が開発した全自動のPCR検査機器が外国で使われ同社が感謝状を受けている一方で、国内では導入が遅々として進まず、「手作業」(!)による検査が続いているという光景は、一体何なのか。
PCR検査体制の拡充を阻止してきた
帰責されるべきは、政権与党や政府首脳のみではない。思えば、2020年5月4日には、安倍首相もPCR検査の実施体制が意図したとおりに拡大していない現実に言及して、「目詰まりがある」と不満を述べていた。
そこで興味深いのは、新型コロナ対応・民間臨時調査会(コロナ民間臨調)がまとめて2020年10月に公刊されたレポート、『調査・検証報告書』に収録された厚労省の内部資料、「(補足)不安解消のために、希望者に広く検査を受けられるようにすべきとの主張について」である。
この資料は、政権中枢へのレクチャーのために作成されたのではないかと推せられるが、PCR検査における偽陰性・偽陽性の問題を強調して、検査の拡大が医療崩壊やさらなる感染拡大を招くと主張し、「従って、医師や保健所によって、必要と認められる者に対して検査を実施することが必要」と結論づけている。これはすなわち、厚労省の内部の人間が政権中枢に働きかけてPCR検査体制の拡充を阻止してきたことの証拠である。
これが「目詰まり」の本体ではないのか。厚労省、とりわけその医系技官たちの保健所に対する権益維持の意図が、保健所によるPCR検査と情報の独占(したがって、検査拡大の拒否)を動機づけているとの見解を医師の上昌弘が述べているが、この指摘には説得力がある。
いずれにせよ、「目詰まり」は実在し、それを取り除くのが政治の仕事だ。問題はPCR検査体制の拡充だけではない。すでに何カ月も前から、新型コロナ治療を行う病院の集約化(コロナ病棟専門化)の必要が訴えられているが、これも進んでいない。水際対策もいまだ不徹底である。政府の新型コロナ対策のうちおおむね上手く機能していると評価できるのは、雇用調整助成金のみではないだろうか。
菅は、これらの当然の仕事から逃避し、「先手先手」、「全力で対応」、「安心と希望を届ける」等々の陳腐で抽象的なフレーズを繰り返すのみで、国民の絶望感を醸成している。その一方で、入院を拒否する感染者を逮捕し懲役を科するなどと言い出す。入院したいのにできない感染者が激増するなかで、である。政権はコロナ対策を諦め、面白いブラックジョークをつくることに専念し始めたかのようだ。
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