音楽は日本だけだけど、ゲームは世界で売れる
三宅:すごいです。私も丸山さんの部下になりたいです(笑)。ゲームを作ろうという話は、ソニー・ミュージックにいらした頃に出てきたのですか。
丸山:そう。その少し前から、レコーディングスタジオに行くと、ミュージシャンが『パックマン』とか、出始めたばかりのビデオゲーム機に100円玉を突っ込んで遊んでいる姿を見るようになって、それがやがて子供たちにもどんどん広まっていった。基本的にゲームも音楽もエンターテインメントだから、これはユーザーの時間の取り合いになると思った。
そうこうするうちに任天堂がファミコンを始めて、スーパーファミコンができた。スーパーファミコンの音は、ピコピコという電子音からもう少し進化したものだったんだけど、その部品を作っていたのが、ソニーの久夛良木健という後にプレイステーションを作ったやつなの。
その久夛良木が、「俺はゲーム機を作る」と言い出した。俺は知り合いじゃなかったけど、ソニーグループでソフト系をやってるのは俺のところしかないから、俺のところにやってきて「手伝ってくれないか」と頼んできたのが最初だった。
そのとき俺は任天堂のファミコンのゲームも作ってたのよ。『TMネットワークの○○○』とか、『聖飢魔IIの○○○』とか。みんな俺の関係するミュージシャンの名前を、タイトルにくっつけた。これが歴史上に燦然と輝くつまらないゲームとして有名なんだけど(笑)、何でも売れた時代だから、そこそこ売れたのよ。そんないい時代はすぐ終わったけど。
三宅:それからは、『ドラゴンクエスト』とか『ファイナルファンタジー』とか、ビッグタイトルの時代になっていきましたね。
丸山:それに、ゲームのメディアがそれまでカセットだったのが、CD-ROMに変わるタイミングだった。CD-ROMって、CDだからね。
三宅:丸山さんの出番ですね。
丸山:あのとき、もし任天堂がちょっとヤマっ気を出してレコード会社を作って、「うちのゲームの主題歌をやりませんか」って、俺のところのミュージシャンに声をかけたら、たぶんみんなフラフラとそっちに行ったよね。音楽は日本でしか売れないけど、ゲームは世界中に売れる。レコードは大ヒットしても30万枚、40万枚だけど、ゲームは500万本、600万本という時代だったから。「もしそうなったら音楽は全部任天堂にやられちゃう」という危機感を俺は持ったわけ。だからCD-ROMをやるんだったら、ソニーが絡んでるほうがいいな、と思った。
三宅:それで、ソニーとソニー・ミュージックが合弁でソニー・コンピュータエンタテインメントを作ったわけですね。そこからいよいよプレイステーションの大ヒットにつながるわけですが、その話は次回に詳しくお聞きしたいと思います。
(構成:長山清子、撮影:風間仁一郎)
※続きは7月16日(水)に掲載します。
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