サラリーマンが大変だとは知らなかった
丸山:大学も、本当は文学部で東洋史がやりたかったの。周りはアメリカをもてはやしてた頃だったけど、俺は目端が利いたのか(笑)、「中国は隣の大国だから、いずれブレークする。今、中国を勉強しておくと、後で意味があるだろう」と思った。
三宅:「逆張り」なわけですね。
丸山:それが、父親が「東洋史専攻だと、卒業しても食べていけないんじゃないか。お前がそうなっても、俺はお前を助けられない」と言うのね。それで、「じゃあ、サラリーマンになって、楽してうんと給料もらうか」と思って商学部にしたの。
三宅:サラリーマンも楽じゃないと思うのですが……。
丸山:親がサラリーマンじゃなかったから、サラリーマンがどれほど大変かなんてわからなかったんだよ(笑)。
さて、それで早稲田の商学部に入ったわけだけど、そしたら高校時代のラグビー部のOBから頼まれて、母校(高校)のラグビー部の監督をやることになっちゃった。
その先輩には、「一流プレーヤーは後輩ができないことに対して『なんでできないんだ』という態度で接してしまう。だから、一流プレーヤーじゃなかったお前が、自分の経験も踏まえて親切に教えるほうがいいんだ」って言われて、一生懸命やったね。だから皮肉なことに、自分は高校3年生のときはほとんど学校に行っていないのに、大学生になった途端、今度は高校に放課後毎日通う羽目になったのよ(笑)。そして当然、大学には行かないわけだ。
先輩とけんかして内定辞退
三宅:面白いですね。大学は無事に卒業されたのですか?
丸山:したした。そして大学卒業後はゼミの先生の紹介で保険会社に就職が決まっていたけれど、その就職先の社員でもあるゼミの先輩と、あることでけんかになってしまった。先生に迷惑がかかるとまずいので内定を辞退して、今度は親とも相談して、読売広告という広告代理店に入って、営業に配属された。これが就職の第1ラウンド。
三宅:本当に何が起こるかわからない人生ですね……。
丸山:仕事はちゃんとしたよ。でも毎日クライアントのところに行って、御用聞きするだけ。言いたい放題言われて、やってられないなと思い始めた。同じ広告の仕事をするなら、代理店にいるより、クライアントの側になったほうがいいぞとも思った。
それでCBSソニーの求人広告を見たら面白そうだったので、会社には内緒で試験を受けた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら