部活をやりすぎて成績がガタ落ち
三宅:丸山さんは、日本で「ロック」を音楽ビジネスの一ジャンルとして築き上げたり、プレイステーションを世に出したりと、エンターテインメント業界では「神様」のような存在だと聞いています。事業創造という面で見ても、日本でも有数のビジネスプロデューサーであるということは間違いありません。今日はその丸山さんに赤裸々にこれまでの生きざまや、その背景にあったお考えなどをお伺いしたいと思います。
まず最初に、丸山さんのお父様は「丸山ワクチン」の開発者として有名な、丸山千里博士ですね。
丸山:そう。おやじは研究が忙しくてほとんど家にいなかったけど、子供心にたいへん尊敬していたね。酒もたばこも何もやらない、ホントまじめ一徹の研究者だったんだよ。それでかどうかわからないけど、俺自身は反抗期もない、とても平凡な子供だったよ。
三宅:意外ですね(笑)。でもそれほどお父様を尊敬していたら、自分も医師や研究者になろうと思ったのではないですか?
丸山:もちろん、なろうと思ってたんだよな。だけど勉強ができなかったから、なれなかっただけ(笑)。小学校、中学校は成績がよかったから、自分はすっかり頭がいいもんだと思っていたんだ。ところが高校に入ったときに、体を鍛えなきゃいかんと思ってラグビー部に入ったんだよね。で一生懸命練習に没頭してたら、あっと言う間に成績が下がってしまった。夜は8時には寝てたし、土日は試合だったしね。高校は小石川高校で、当時は男子300人、女子100人で、男子は120~130人くらい東大に行ってたのよ。
三宅:なんと、名門ですね。
丸山:当時はほぼ全員、東大を受けるという学校だったよ。でも、各クラスには3~4人は落ちこぼれがいて、俺も見事にそこに入った。だから担任の先生が、「ラグビー部をやめろ」っていうわけ。そんなバカなと思って、「部活は学校で認められている正式な活動です」と先生に言ったんだよ。
三宅:高校生でそんなセリフを吐いたんですか(笑)。
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