型と練習、そして時々試合
安河内:パターンプラクティスとコミュニケーションの話に戻すと、私は割合の問題が重要だと思います。パターンを刷り込む部分とコミュニカティブ(意思疎通に役立つ)な部分。私がざっくり考えるのは、これを7:3くらいにする。自分自身もそうして英語をマスターしてきたというのもあります。EFL環境の中で学習するのに、パターンを学ぶ時間をあまり取らないで、ずっとだらだらとブロークン・イングリッシュでしゃべっていても、楽しいかもしれないけれども、英語力自体は向上しないでしょう。
それでも、対話練習を3割くらいは入れたほうがいいとも思います。やっぱり乱取りというか、練習も必要だから。
水野:実践がないと、というのはあります。でも、それを小学校低学年からやる必要はありますか。
安河内:コミュニカティブというよりは、いろんな国の人と触れ合うとか、そういう体験みたいなものは、低学年からあっていいと思います。
水野:私も同じ意見ですよ。だから小学校低学年の場合には、英語に限った教科としてではなく、世界のいろいろな言語や文化に触れる時間にしてはどうかと思いませんか。英語は向き不向きもあるし。日本にはさまざまな国から留学生も来ていることですから。
英語に特化しようとするから、教える人材も足りなくなるのです。いいじゃないですか、モンゴルの人でもウズベキスタンの人でもパキスタンの人でも。その人たちの国の文化や言葉に触れる時間を持つのは有意義ですよ。
安河内:ああ、それには大賛成ですね。それでも英語という言語のプレゼンスは非常に大きいので、ある程度、英語に偏らざるをえないということはあると思います。
水野:中学校からどうせなるじゃないですか。だったら、小学校ではまだ英語の優位性とか、そういうことは持ち込まなくていいんじゃないでしょうかねぇ。
安河内:週に1時間だったらいいんです。ただ、外国語教育が4年の間に週に1時間(小学3年時)、1時間(小学4年時)、3時間(小学5年時)、3時間(小学6年時)やる中で多言語教育をやっていると、何の教育をやっているかわからなくなってしまいますよ。もしかしたらネガティブな選択かもしれないけど、どうしても英語をやらざるをえない、ということでもあります。
水野:まさにネガティブ・チョイス。
安河内:英語がどうしてこんなに広がったかというと、列強による植民地支配という、非常に悲しい歴史の中で普及した。世界で起こる紛争や戦争の解決手段を国家間で話し合うときに、多くの国で学ばれている英語があるので、手段として英語を使いましょうとなった。ネガティブな選択ではあっても、この現実は無視できないわけであって。政治の力学として、英語を選択せざるをえなかったというのは、踏まえておくべきですが、でも、現実として、世界でこんなに多くの国の人が使える言語というのは英語なんですよね。
水野:でも、だからといって、非ネーティブの私たちが「英語は国際共通語ですよね」って言っちゃいけないでしょ。日本人は言語の持つ政治性と言うか、策略的なことや戦略的なことに、あまりにも無頓着すぎます。
この対談をどういう方々がお読みになるかはわかりませんが。
安河内:ものすごく英語教育に関心が高い方々ですよね、きっと、進学にも興味がある人も多いでしょうね。
水野:じゃあ、オックスフォード大学を出ている私が小学校英語に反対してるというのも、面白いですか。
安河内:面白いです!
無料会員登録はこちら
ログインはこちら