実は失敗も多い渋沢栄一、500社作れた真の理由

混迷の時代に必要な「理想を求めて突破する力」

銀行設立を皮切りに、さまざまな事業を立ち上げた渋沢栄一(左から2番目)(写真:Alamy/アフロ)
大蔵省を辞し、実業家としての道を選んだ渋沢栄一。日本初となる第一国立銀行を設立すると、合本組織の銀行が全国に次々と誕生し、地方の活性化にもつながった。短期連載第8回にして最終回となる今回は、渋沢栄一の新事業への挑戦をお届けする。
<これまでのあらすじ>
父の手伝いで14歳のときに始めた藍玉の買い付けでは、製造者をランク付けし、競争心をあおる試みを取り入れるなど、早くから商才を発揮していた渋沢(第1回)。多感な青年期に従兄弟の尾高惇忠やその弟・長七郎、渋沢喜作(成一郎)と出会い、攘夷思想に染まっていく(第2回)。「国を救うには外国を打ち払うしかない」と、高崎城の襲撃と横浜の焼き討ちを計画するが、頓挫(第3回)した。
その後は一橋家に仕官し、財政再建を進めた(第4回)。パリ万博に随行する機会を得て多くを学ぶと(第5回)、帰国後は大蔵省に入省。現場に煙たがられながらも、改革を推進するが、各省からの度重なる予算要求を受け、国家の財政状況に危機感を覚える(第6回)。実業家に転身した渋沢は、日本で初めて銀行を開業し、事業に対する日本人の意識改革も図った(第7回)。そんなある日、渋沢の前に、岩崎弥太郎が現れて……。

岩崎弥太郎から矢のような催促

明治6(1873)年に第一国立銀行を設立してからというもの、渋沢栄一のもとには、さまざまな事業に関する相談が寄せられた。

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官僚がいばりくさる時代に終止符を打ち、商人の地位を高める――。それこそが己の生涯に渋沢が課した使命であり、それには、公益を追求するために人材と資本を集めて、事業を推進させていかなければならない。

「合本主義」というと難しく聞こえるが、渋沢がやろうとしたのは、そんな会社組織を日本全土に作り、経済を活性化させることである。いろんな方面からの相談に、喜んで協力したことは言うまでもない。渋沢は日々忙殺されることとなった。

そんな中、郵便汽船三菱会社社長の岩崎弥太郎から、こんな誘いが舞い込んできた。

「向島の柏屋に舟遊びの用意をしてお待ち申していますから、ぜひおいでください」

どうにも気が進まなかったのでうやむやにしていたが、岩崎から矢のような催促が飛んでくる。渋沢は重い腰を上げて出向いていくことにした。

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