「日本初の銀行設立」渋沢栄一の真意が凄すぎた

自ら事業を興し、金融システムの構築に尽力

前列右から、三井の大番頭と呼ばれた三野村利左衛門、渋沢栄一、三井高福(三井家8代目当主。13代八郎右衛門)。三井家は渋沢の銀行設立に協力した(写真:近現代PL/アフロ)
留学先のパリで徳川政権の崩壊を知り帰国した渋沢栄一。大隈重信に説得されて大蔵省に入り、アメリカ式会計法を導入するなど改革に尽力する。しかし、陸海軍への支出をめぐり、大久保利通と対立して辞めた。短期連載第7回は、実業家になった渋沢の奮闘ぶりをお届けする。
<これまでのあらすじ>
父の手伝いで14歳のときに始めた藍玉の買い付けでは、製造者をランク付けし、競争心をあおる試みを取り入れるなど、早くから商才を発揮していた渋沢(第1回)。多感な青年期に従兄弟の尾高惇忠やその弟・長七郎、渋沢喜作(成一郎)と出会い、攘夷思想に染まっていく(第2回)。「国を救うには外国を打ち払うしかない」と、高崎城の襲撃と横浜の焼き討ちを計画するが、頓挫(第3回)した。
その後は一橋家に仕官し、財政再建を進めた(第4回)。パリ万博に随行する機会を得て多くを学ぶと(第5回)、帰国後は大蔵省に入省。現場に煙たがられながらも、改革を推進するが、各省からの度重なる予算要求を受け、国家の財政状況に危機感を覚える(第6回)。渋沢は、官ではなく民として、日本の経済発展に寄与することを決意し、実業家としての道を歩み始める。

並々ならぬ金融事業への意欲

大蔵省を去る道を選んだ渋沢栄一。これまでも何度となく、行く当てがなくなることはあった。そのたびに「これからどうするべきか」を考えあぐねたものだが、このときばかりは違った。明治維新による近代化の流れのなかで、渋沢の実績と経験を考えれば、活躍の場は無限にあったといってよいだろう。

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渋沢自身もさまざまな事業に関心があったが、中でも金融事業への意欲は並々ならぬものがあった。渋沢は大蔵省時代に国立銀行条例の制定に携わっており、退官したのは、条例が公布されて間もない時期だった。

そのため、辞職後すぐに、銀行設立を考えていた三井の大番頭、三野村利左衛門や小野組の小野善右衛門らから声をかけられている。

「ご辞職なさったのはお気の毒であるけれども、それを幸いに一つ銀行を世話してくれまいか」

渋沢としても拒む理由はなかったが、大蔵省で世話になった井上馨と大隈重信に、自分の進路としてふさわしいかどうかを相談している。大久保とは反りが合わなかった渋沢にとって、二人の傑物は特別な存在だった。

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