「日本初の銀行設立」渋沢栄一の真意が凄すぎた 自ら事業を興し、金融システムの構築に尽力

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大隈は、大蔵省を辞めたことについて「お前がああいうことをやるのは、政府に喧嘩をしかけるようで、はなはだよくない」と苦言を呈しながらも、銀行設立にかかわることには賛成した。

「大蔵省としても君のような人物が銀行に入って手を尽くしてくれることは喜ばしい」

井上からも「君は政府に対しても世のなかに対しても、もう気を遣わなくてもいいのだから、ただちにやってもらいたい」と激励を受けた。

ただ、ほかの先輩や友人からは「官を辞職して民間に行くなんてもったいない」という反対も寄せられた。渋沢は「もし私に働きがあるとすれば、なおさら官界を去らなければならない」として、こう説明した。

「もし人材がみな官界に集まり、働きのない者ばかりが民業にたずさわるとしたら、どうして一国の健全な発達が望めましょう」

さらに、渋沢はある書物を引き合いに出して、決意を述べた。その本とは『論語』である。

「私は商工業に関する経験はありませんが、『論語』一巻を処世の指針として、これによって商工業の発達を図ってゆこうと思います」

『論語』に意味を見いだせたのは実業家になってから

渋沢は幼い頃から『論語』に親しんできた。だが、その教訓を生かす意味を初めて見いだせたのは、実業家として生きることを決めてからだったと、のちに振り返っている。

渋沢の考えはこうだ。封建時代、商人たちは武士に対して、表向きは平身低頭しながらも、金の力に物を言わせ、時には相手の尊厳を平気で傷つけた。一方で、貧しい者は「背に腹は代えられぬ」と、金のためなら道徳から逸脱することもやむなし、としているではないか。

しかし、本来は「社会正義のための道徳」と「生産利殖」は相反するものではなく、両立できるはずだ、というのが渋沢の思想だった。

「そもそも国家というものは、人民が豊かになれば道徳が欠けて仁義が行われなくてもよい、とは誰もいえないだろうと思う」

商業上の道徳を重んじた渋沢は、再三にわたって「嘘をつくこと」と「自己利益を第一にすること」を戒めた。その考えは「論語とそろばん」という言葉で表されることとなる。

渋沢は、論語主義による「道徳経済合一説」を唱え、自らの事業を通して社会を1つにすることを目指したのだ。

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