しかし、どうにか資金の都合をつけて、製紙事業をスタートさせても、思うようには進まない。渋沢が欧米から雇い入れた技術者の質が低く、まともな紙がいっこうにできあがってこないのである。
すでに最新式の機械もイギリスから購入してしまっている。ここで失敗したら、官だろうが民だろうが「会社はうまくいかない」ということになる。何としてでも事業を軌道に乗せなければならない。
渋沢は、技術者の尻を叩いて改善させたが、まともな紙が出てきたのは、機械を導入して数カ月経ってからのことだった。理想どおりにはいかない事業の難しさに直面し、渋沢も生きた心地がしなかったに違いない。
さて、話を屋形船に戻そう。岩崎から「経営は才あるものが行うべき」と言われた渋沢。すでに製紙事業での苦労も経験している。これからも、さまざまな未知の事業に挑戦すれば、どの道のりも険しいだろう。
「経営者が利益を独占するのは間違い」
それでもなお、渋沢は合本主義こそが、日本の社会と経済をよりよい方向にすると信じて疑わなかった。渋沢は岩崎にこう答えた。
「才腕ある人物に経営を委託するのは当然だが、その経営者がいつまでも事業や利益を独占するのは間違っている」
当時の海運業は、岩崎の郵便汽船三菱会社によって、ほぼ独占されていた。そのことを目の前で指摘したが、岩崎は「それは理想論に過ぎない」と喝破して、渋沢に提案をした。
「君と僕が固く手を握り合って事業を経営すれば、日本の実業界を思うとおりに動かすことができる。これから2人で大いにやろうではないか」
渋沢の能力を高く買っていたのだろう。ビジネスパートナーとして、2人で日本経済を牽引することを持ち掛けたのだ。
だが渋沢の目的は、あくまでも会社の設立によって、民間経済界の全体を潤わせることである。常々こんなふうにも語っていた。
「自分が事業のために奔走するのは、ただ国家の利益を図るためであり、成立の見込みある事業ならばいくつでも作ることに尽力し、国家経済の発展を助ける」
岩崎と口論の末、渋沢は席を立つ。交渉は決裂である。社長独裁の会社が政府の助成を受け、1つの事業を意のままにしている。そんな状態が、渋沢には我慢ならなかった。それでは、近代経営の体を成すことはできない。渋沢はこうも言っている。
「他人を押し倒してひとり利益を獲得するのと、他人をも利して、ともにその利益を獲得する人。どちらが優れているかは、明らかである」
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