百戦錬磨の渋沢栄一が「大久保利通は嫌い」な訳

大蔵省では意見が対立して退官、実業家の道へ

渋沢栄一(左)と大久保利通は犬猿の仲だった(左写真:今井康一、右写真:iLand/PIXTA)
幕末から明治という激動の時代に、獅子奮迅の活躍をみせた渋沢栄一。尊王攘夷の運動家から一転して一橋家の家臣となり、さらに大蔵省に入ったかと思えば、今度は実業家に転身した。その激動の人生と人となりについては、連載「渋沢栄一とは何者か」で8回にわたってお送りした。
波乱万丈な渋沢の人生には、多くの幕末志士が登場する。同時代を生きた名だたる幕末の志士のことを、渋沢はどう評価していたのだろうか。番外編として、渋沢の鋭い洞察を通して、明治新政府の中心となった幕末志士の実像に2回にわたって迫る。
<連載のあらすじ>
父の手伝いで14歳のときに始めた藍玉の買い付けでは、製造者をランク付けし、競争心をあおる試みを取り入れるなど、早くから商才を発揮していた渋沢(第1回)。多感な青年期に従兄弟の尾高惇忠やその弟・長七郎、渋沢喜作(成一郎)と出会い、攘夷思想に染まっていく(第2回)。「国を救うには外国を打ち払うしかない」と、高崎城の襲撃と横浜の焼き討ちを計画するが、頓挫(第3回)した。
その後は一橋家に仕官し、財政再建を進めた(第4回)。パリ万博に随行する機会を得て多くを学ぶと(第5回)、帰国後は大蔵省に入省。現場に煙たがられながらも、改革を推進するが、各省からの度重なる予算要求を受け、国家の財政状況に危機感を覚える(第6回)。実業家に転身した渋沢は、日本で初めて銀行を開業し、事業に対する日本人の意識改革も図った(第7回)。さらに製紙業や海運業などにも進出し、国家のために奮闘した(第8回

渋沢を丸め込んだ大隈重信

渋沢が人生のターニングポイントを迎えるきっかけとなったのが、大隈重信である。パリで江戸幕府の終焉を知った渋沢。帰国後、旧幕臣が明治新政府と函館で最後の戦いを繰り広げる中、渋沢は父にこう言っている。

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「今さら函館に行って脱走兵に加わる気もありません。また、新政府に媚びを呈して仕官するつもりもありません。これから前将軍の隠棲しておられる静岡へいって、生涯を送ろうと思います」

もともと一橋家に仕えていた渋沢は、駿河の宝台院で蟄居する徳川慶喜のもとを訪ねている。その言葉通りに駿河で生涯を送るべく、「商法会所」を設立するなど民間人としての道を歩み始めた。

そんな渋沢を明治新政府へと引っ張り出したのが、大蔵省で大輔を務めていた大隈重信であった。「大蔵省租税司正」というポストを打診された渋沢は「税の知識がなく、少しも経験がないことだから」と断るが、大隈からこう言われて丸め込まれてしまう。

「何から手を着けてよいかわからないのは、君ばかりではない、みなわからないのである」

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