結局、大久保とは意見が対立したまま、渋沢は大蔵省を辞めることを決意。大蔵大輔を務めていた井上馨にこう伝えた。
「私は大久保さんのご機嫌を取りながら勤めることはできません」
井上に慰留されて、一度は思いとどまるものの、思いは変わらずに、渋沢は大蔵省を退官。結果的に、大久保の存在は、渋沢を実業家の道へ進ませるきっかけとなったといえるだろう。
だが、さすが渋沢と思わせるのは、これだけ対立した大久保のことを、のちにこう評していることである。
「私が大久保侯の日常を見ると『君子は器ではない』とは彼のような人をいうのであろうと驚きの気持ちを禁じえなかった」
「君子は器ではない」は「立派な人間は何かの道具にならない」という意味である。これだけ嫌いながらも、渋沢は大久保のことを「君子」としているのである。
これまで渋沢は、どれだけ意見が違う相手であっても、とことん議論することで、局面を打開してきた。頭ごなしに相手の意見を否定さえしなければ、自分の思いは通じるという確信があったし、相手の意見のほうが優れていると思えば、大胆に方針を変えることもいとわなかった。
「こちらが腹を割って話せば、 自分がどういう人物かを相手に理解してもらえるし、相手がどういう人物かもわかる」
それが、いわば渋沢の信念だったといってもよい。
大久保は「まったく底の知れない人」
ところが、大久保だけは、これまで会ったどんな人ともまるで違った。未知の人種であり、渋沢は大いに戸惑ったようだ。
「たいていの人はいかに見識が抜きんでていても、おおよそ心で何を思っているのかを外側から窺い知ることができる。ところが大久保侯の場合、どこに彼の真意があるのか、何を胸の底に隠しているのか、私のような不肖者ではとうてい測り知ることができなかった。まったく底の知れない人であった」
さらに、大久保のことを嫌った理由も、その底知れなさにあると、冷静に分析している。
「大久保侯に接すると、何となく気味の悪さを感じてしまうことがあった。大久保侯を何となく嫌な人だ、と私に感じさせたこれが一因なのだと思う」
百戦錬磨の渋沢をも圧倒した大久保。一方で「嫌いだ」という相手をここまで冷静に見つめられる渋沢の人間力にも感服させられる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら