有名出版社を辞め浪曲師になった彼女の生き様 素人から浪曲界の顔に「玉川奈々福」人生劇場
昼間は出版社で働きながら、夜は浪曲師という古典芸能の世界で生きる。
浪曲は、唸る(節をつけて語る)浪曲師と三味線の曲師のコンビで作り上げていく。ストーリーだけではなく、メロディやリズムなど音楽の要素が魅力の大部分を占める点が、落語や講談などの近接した古典芸能とは違う。
玉川奈々福さんは、現在では浪曲師として真っ先に名の挙がる存在だが、実は20年近く、会社員との兼業時代があった。先般出版された初のエッセイ、『浪花節で生きてみる!』(さくら舎)では、筑摩書房の一編集者にすぎなかった奈々福さんが浪曲といかに出会い、いかに魅了されていったかがつづられている。
組織に所属してその中で生きることが絶対の選択肢ではなくなった時代である。奈々福さんの体験した戸惑い、迷い、そして見出した希望に教えられるものは大きいはずだ。
「少しは真面目なところを見せてください」
――本書でいちばん意外だったのは、曲師としてデビューされたころの奈々福さんが不良弟子だったというところです。三味線を習っている玉川みね子さんから「少しは真面目なところを見せてください」というお叱りの手紙までいただいてしまうという。
評論家の平岡正明さん(故人)が私の舞台を当時ご覧になって書かれた文章がありますが、「ずっと居心地悪そうな顔していた」って。そうだったろうなと思うんです。今はそうでもないですが、当時の浪曲の楽屋って江戸時代かっ?と思うような楽屋だったんですよ。そこに何もわかっていない20代の小娘が入っていったわけですから。
――浪曲には「唸る」浪曲師と三味線を「弾く」曲師が不可欠ですが、その頃はずっと曲師不足の状況だったそうですね。それで日本浪曲協会が主催した三味線教室に奈々福さんがたまたま参加された。初めはプロ志向ではなかったということですか。
なんでもいいから生涯続けられる習い事がしたい、という軽い動機だったんです。当時の私は、日本文学全集編集部にいました。編集委員は鶴見俊輔、井上ひさし、池内紀、安野光雅、森毅という知の巨人ばかり。下っ端の私なんて知の沼の水面で揺れ動く笹の小舟みたいなものですから、確信をもって自分はこれだ、と思えるものが欲しかったんです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら