有名出版社を辞め浪曲師になった彼女の生き様 素人から浪曲界の顔に「玉川奈々福」人生劇場

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――浪曲三味線の演奏法には音符がない、と言われるそうです。未知の楽器への挑戦だけでも大変なのに、奈々福さんは玉川福太郎さん(故人)に一本釣りされる形でプロの曲師を目指すことになってしまいますね。ご著書を読んでいると、意外な展開の連続です。浪曲の世界に入りたい強い願望があったわけではないのに、よく修業が続いたと感心しました。

玉川奈々福さんの師匠である故・玉川福太郎氏。写真は1989年1月、歌舞伎座での浪曲大会の様子(写真:共同通信)

正直に言えば、大丈夫かな、このまま入ってしまって、と常に逃げ道を探すような状態でした。だから三味線も素人くささが抜けない。師匠は歯がゆかったでしょうね。

――曲師としての自覚を促すためか、福太郎さんからはコンビを組む浪曲師と息を合わせることを学ぶ一環として、自分でも一度浪曲をやってみるようにと勧められます。そこで浪曲師としての初舞台を踏んだことから現在へつながる道が開けたわけですね。

でも、あまりに下手なんでまわりに驚かれてしまって。それ以来、新人が木馬亭の舞台に上がる前にテストされるようになったんです。悪しき前例を作ってしまった(笑)。

「師匠をプロデュース」する大舞台

――そうした修業人生は、2003年が大きな転機だったように思います。現在の相三味線である大ベテラン・沢村豊子さんに弾いていただくようになり、大看板の国友忠さん(故人)のお宅で稽古を始めるなど、さまざまな偶然が重なったようですね。その中でも、大病をされた玉川福太郎さんが復帰されたことは大きかったのではないでしょうか。

豊子師匠との出会いでたしかに潮目が変わりました。豊子師匠と国友先生にしごかれて必死に食らいついたことで、芸そのものがおもしろくなっていったんです。そしてなんといっても復帰後のうちの師匠が素晴らしかった。

師匠は、大舞台での開催が当たり前だった世界に小会場への出前浪曲という概念を持ち込むなど、業界の開拓者でした。ずっと頑張ってこられて、さすがにちょっとくたびれてきたときにご病気になった。半分諦めかけた浪曲がまたできる、となって師匠の中で何か変化が起こったんでしょうね。私、復帰後の師匠に感動したんです。今の師匠をみんなに聴いてもらいたいって。

――そこで2004年から翌年にかけて、弟子の奈々福さんが師匠である福太郎さんをプロデュースする「徹底天保水滸伝」「浪曲英雄列伝」という連続公演を木馬亭で開催されるわけですね。

本当は誰か他の方に担当してもらいたかったんですけど、やってくれる人を見つけられなかった。師匠からは「お前が責任取れ」って言われましたし。初めての経験だから、すべて手探りでしたよ。私に予約という概念がないから、初回は全席当日券でした(笑)。

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