私が6年前に本社を大阪から淡路島へ移した訳 創業93年の老舗メーカーが採った大胆な改革

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スタジオ収録の様子。右から古市尚・プライミクス会長、三神万里子・経済ジャーナリスト、狩野史長アナウンサー(写真:NHK大阪拠点放送局)

狩野:その後、古市さんは大阪、埼玉にあった本社・国内製造・研究所の各機能について、なんと淡路島の淡路市夢舞台(淡路花博の跡地)への移転・集約を決めました。この大胆な経営改革をきっかけに、プライミクスの業績は6年前から右肩上がりになっているそうですね。

三神:地方移転は、今でこそ新型コロナウイルスの影響で注目されていますが、プライミクスが淡路島へ移ったのは2015年とコロナ騒動が始まる5年も前のことです。当時、古市さんが行った数々の改革の中でもとくに注目を浴びたのではないでしょうか。

古市:1927年の創業以来大阪に拠点を置いていましたが、建屋や設備が老朽化し、当社が受注する設備もどんどん大型化してきたことで工場が手狭になっていました。“町工場”というイメージが強く、採用活動にも苦戦しており、生産効率も上がっていませんでした。それらの問題を解決するための策でした。

淡路島移転の4年前から社員を口説いていた

三神:駅前から島へ、ずいぶん大きな変化です。移転について反対意見もあったのではないですか。

古市:コンサル業の経験をもとに企画書をきっちりと書き、全社員を集めて、思い描いていることをわかりやすい言葉で時間をかけて社員に伝えました。移転の4年前から淡路島へ連れて行き、まだ何も建っていない原っぱのときに「ここに会社を建てて、こんなことをやりたい」と説得し続けたことで、「それだけやりたいならしょうがない」というような雰囲気になってきました(笑)。

狩野:思いの強さが社員に伝わったんですね。淡路島を選んだ理由は?

古市:豊かな自然に恵まれており、海が一望できることがいちばんの理由です。広大な土地が確保でき、食べ物がおいしい。明石海峡大橋を使えば、大阪や神戸などからのアクセスも意外と便利です。

都会にいると情報がありすぎて、まったく必要のない情報がたくさん入ってきますが、淡路島にいると、必要のない情報はまったく入って来ません。そのため仕事に集中でき、仕事が終わると遊ぶという“オンとオフの気持ちの切り替え”ができるようになるのです。

狩野:社員の働き方も変えたそうですね。

古市:オフィス、食堂はくじ引き制度を導入して他部署の社員たちを混ぜ合わせて交流を促進しました。

くじ引きで他部署の社員たちと混ざるように

三神:結局同じ部署で固まってしまう例もありますが、どのような意図のもと、この垣根を取り払ったのでしょうか。

古市:一部屋に社員全員がいることで、自分が設計したものがすぐ見える工場をつくることが理想でした。大阪市内に工場があったときは部署の部屋がそれぞれ分かれており、さらに大阪の工場と埼玉の工場も分かれていたため、部署間のコミュニケーションが非常に悪かったのです。

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