私が6年前に本社を大阪から淡路島へ移した訳 創業93年の老舗メーカーが採った大胆な改革
三神:技術者の誇りが高い現場からしてみると、「技術のわからない、まったくの異分子の人がトップでやってきた」という心証を持たれ、反感も強かったのではと想像します。どのようなことから着手しましたか。
古市:「この会社がどういうふうな姿になりたいのか」とヒアリングしてみたところ、社員それぞれバラバラの答えが返ってきました。もともと技術屋の祖父が立ち上げた会社で、社員はその背中を見て育ってきていました。
経営戦略やビジョン、ミッションなどあるべき姿がなくてもやってこれていたのでしょうが、私が来たときにはすでに祖父はいませんでした。まずはしっかりとした“あるべき姿”をつくり、企業理念や使命を明文化して、社内のモチベーションを高くし、皆で同じ方向を目指していくことから始めました。
コンサルタントの経験を撹拌機メーカーに「混ぜる」
三神:コンサルタントの経験は生きましたか?
古市:コンサルタントの仕事は、“おもてなし”を大切にします。お客様の言葉を聞き、お客様の反応を見て、何をすればいいかを考えます。一方、私が入社した当初の当社は機械の性能ばかりに特化して、お客様の言うことはそっちのけ。いくらすばらしい機械を作っても、購入後、お客様が求めるものができなかったら、それは無用の長物です。そのため、“顧客満足度を重視する”というコンセプトを打ち出して、目指す方向性を伝えて社員の意識改革を図っていきました。
狩野 史長(以下、狩野):具体的にはどんなことを?
古市:社員の行動指針としてミッションをまとめた「ブランドブック」をつくり、撹拌機会社のブランドの必要性を説きました。特殊機化工業の時代には、ブランディングという考えはまったくありませんでした。
三神:当時の社員数は?
古市:120〜130人ほどでした。
三神:それだけの人数がいたら、社員の意識改革には相当な時間がかかったのでは?
古市:ミッションを皆で共有できるようになるまで10年はかかりました。企業風土を変えて社員のモチベーションを上げることは、本当に時間がかかると思います。