ビートルズ誕生60年「歴史の証人」が語る実像 「ジョン・レノンが育った家」管理人の思い

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――ビートルズはどのようにして地元で大きな存在になっていったんでしょうか。単純に口コミだったのですか。

口コミで客が増えていくのは、どのグループも同じだと思います。リバプールには独自のビートミュージックやロックンロールのシーンがありました。つねに音楽の街なんです。自分が子どもだった1950年代には、カントリー&ウエスタンが大流行していました。

――それはリバプールが港町だからでしょうか? 兵士が外地からレコードを持ち帰ってきた、とか。

すべての家族に海軍の人がいるわけではないですから、それに限らないと思います。アイルランドに先祖を持つ人が多く、黒人のコミュニティーもあったし、音楽が生活に密着している人が多かった。それが大きな理由ではないでしょうか。外出が好きで、お芝居やバラエティーショーを見に行ったりね。ショーの入場料は安く、誰でも気軽に行けた。それに加え、数多くのクラブがありました。1960年代には、みんな収入が増え、生活も安定してきましたから、娯楽がとても盛んになりました。

リバプールには独自の音楽シーンがあった

ただし、1950年代にはテレビやラジオでロックンロールが流れることはほとんどありませんでした。レコードは高価。ですから、友だち同士でロックンロールを聴こうと思ったらクラブで生の音楽を聴くしか方法がなかった。そういう背景でしたから、リバプールには星の数ほどクラブがあり、ライブ演奏で生計を立てているグループもずいぶんありました。独自の、大きな音楽シーンがリバプールにはあったんです。

ビートルズもあちこちのクラブで演奏していました。ただ当初、あまり演奏は上手ではなかったし、ジョンもポール(・マッカートニー)もジョージ(・ハリスン)も全員がギターを担当している。ベースプレイヤーをつねに探していて、ドラムに至っては固定メンバーがまったく決まらない。お金もなかったので、いい楽器やアンプを買うのにも苦労していました。

ですが、スチュアート・サトクリフ(ビートルズの元メンバー)がベースを買った頃には、グループとしてのまとまりが出始めていました。エレキベースがあるだけで、箔もついたわけです。実際、ベースは人気のある楽器ではなかったし、ポールも「あまりカッコいい感じがしなかった」と言っています。でも、ベーシストの存在そのものが貴重だったんです。

このあともコリンの話は続く。取材時間は計3時間に及んだ。時代を超えて世界中で親しまれてきたビートルズとジョン・レノン。同時代のリバプールで育ったコリンのインタビューの次回(1月31日公開予定)は、ジョンの家「メンディップス」での逸話に移っていく。その前に、コリンから日本と日本人へのメッセージを記しておく。
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