ビートルズ誕生60年「歴史の証人」が語る実像 「ジョン・レノンが育った家」管理人の思い
――コリンさんもキャバーンに通っていたわけですね。
そうです。ただ、残念なことにビートルズが出ていた時代、自分はまだ若すぎて彼らの演奏を直接見ることはできなかった。でも、通うようになった頃、ボブ・ウーラー(キャバーン・クラブの看板D J・司会者)はまだ現役でしたよ。
友だちと一緒にボブに声をかけ、「友だちがバンドをやってるけど、出演できますか」って尋ねたこともある。そしたら奥のオフィスに呼ばれて。こっちはティーンエイジャーだったから、緊張しましたね。
ビートルズのコンサートのポスターが壁に貼ってあり、それをボーッと眺めるばかりで。ボブは「出演は大丈夫だけど、最初の演奏はオーディションだから」と言いました。つまりノーギャラ(笑)。でも、友だちのバンドは、「オックス」っていう名ですが、キャバーンに出られるというだけで大喜びでした。
当日はほかにもいくつかバンドが出演していました。メインは、リー・ドーシーというアメリカ人のR&Bシンガー(ジョン・レノンがアマチュア時代からカバーし、アルバム『心の壁、愛の橋』にも収録した「ヤ・ヤ」が有名)。白いスーツがかっこよくて、パフォーマンスも素晴らしかったですね。オックスは前座でプログラムのかなり下のほうだったんですが、リー・ドーシーのサポートというだけで感動していました。
レンガの壁には出演アーティスト名が刻まれている
現在、オックスのメンバーは孫がいる世代です。キャバーンの向かいのレンガの壁には、出演したアーティストの名前がすべて刻まれていますよね? 「オックス」ってあるだろう、あれはおじいちゃんのバンドだよ、その後バンド名を変えたから、ほら、こっちのレンガもおじいちゃんのだ、と孫に自慢している(笑)。歴史に残る存在になったんですからね。
そう言えば、若い頃はキャバーンに行くことを、「Let’s go the Cavern」って言っていました。英語の文法としては、「Let’s go to the Cavern」が正しいんですが、どうしてでしょうね。
――キャバーンが人気だったのは、やはりビートルズが出演していたからですか。
その前から人気はありましたが、ビートルズが出演したことで、リバプールを超えて有名になりましたよね。もっとも、リバプールのバンドであれば、誰もが必ず1回はキャバーンに出演していました。ビリー・J・クレイマー、ジェリー&ザ・ペースメーカーズ、フォアモスト、レモ・フォー……皆、キャバーンのステージを踏みました。
キャバーンは、もともとジャズクラブでした。1957年1月のオープン当時は、ジャズが大流行していたからです。ロックンロールは、一過性の流行と考えられていたんですね。キャバーンも、パリにあった有名なジャズクラブの「ラ・カボ」を意識して作られた。だから、最初はロックンロールの演奏はなかったんです。
「スキッフル」は大丈夫でした。ジャズとブルースとフォークのフュージョンということで、中身のある音楽だと考えられていた。ロックンロールに対しては、ちゃんとした音楽という認識がなかったんです。
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