建替えは、いつか来る災害を念頭に行われた。しかも、建物の用途は、客の持ち物を預かる倉庫である。耐震性と耐火性を徹底しない理由がない。昭和初期に、地下1階・地上6階建ての鉄筋コンクリート製の建物ができたのには、こういう背景があったのだ。同じ場所に建つ新しい建物が、最新の防災ビルになるのは、当然と言えるだろう。
最後に1階まで下りて、残された古い建物の中を歩く。柱や壁の造作にやはり歴史が感じられる。壊されないで本当に良かった。
すでに取り外されているが、エレベーターのインジケーターやボタンなど、再利用できるものは再利用されるそうである。再利用と言えば、80年以上江戸橋倉庫ビルを支えてきた松杭の一部は、生まれ変わった日本橋ダイヤビルディング1階のパブリックスペースの椅子などとして活用されるという。次に来たときには、ぜひともそこに腰を下ろしてみたい。
竹中工務店は1610年創業
さすが三菱倉庫、歴史ある企業は違う。そう思ってふと、施工主である竹中工務店の方が歴史が古いことを思い出した。根本さんに聞くと「1610年創業です」という。江戸初期である。織田信長の元の家臣である竹中藤兵衛正高が作った会社で、神社仏閣の造営にも関わってきた。根本さんは、新入社員のときに、研修終了後の配属希望を聞かれて、ベテランが配属されるのが常の「法隆寺派出所」への配属を熱心に希望したという強者だ。「残念ながら、まだ配属されたことがありません」。
昭和5年に竣工した江戸橋倉庫ビルの施工主も、竹中工務店だった。その当時で300年以上の歴史があった竹中工務店にしてみれば、この建物づくりは、創業から50年ほどのベンチャー企業の自社ビルを造るイメージだったのではないか。
そう考えると、新しい日本橋ダイヤビルディングのオフィスフロアには、ぜひとも次の50年や300年を担う気概を持つ、現代のベンチャーに入居してもらいたい。オフィスフロアへの入居者はほぼ決まっているものの、まだ、余裕があるそうである。
ビルの外へ出て歴史に彩られた建物を見上げると、もう、小さくは思えなかった。
(構成:片瀬京子、撮影:尾形文繁)
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