歴史を継承、日本橋ダイヤビルの快挙 新しいビルと古いビルを共存させる最新技術

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まず、新しい建物は、古い建物の上に載っているのではなく、古い建物の内側に建っている。古い建物は、外壁の7割など外側の一部だけが残されているのだ。建物を上から見ると、新しい建物に古い建物の一部がカバーのようにパチッと嵌っているイメージだ。普通、カバーは後からつけるが、ここでは逆。カバーの内側で古い建物は一部が解体され、新しい建物が造られるという窮屈な工事を2010年から進めてきたことになる。

何もないところに新しいものを作るのに比べると、時間も費用もかかっている。いったん更地にしていれば、工事はとっくに終わっているはずだ。それでも古いものを残すと決めたのは、ここが三菱倉庫にとって思い入れ深い発祥の地だからだ。地価の高いこの場所に倉庫を残すことにも、強い決意が感じられる。三菱グループの創業者・岩崎弥太郎がこの地に倉庫を構えたのは明治9年。以来、この場所は三菱の倉庫として使われてきた。

三菱倉庫工務部建設チームマネジャーの新井一也さん

「美術品や着物をお預かりすることもありました。歌舞伎役者の方が、ここで着替えてから東銀座の歌舞伎座へ出かけられたとも聞いています」と三菱倉庫工務部建設チームマネジャーの新井一也さん。

十分、あり得るし、その姿を想像するとワクワクする。

昭和5年に竣工し、最近まで使われていた建物は、20世紀にヨーロッパで流行した表現主義の影響を強く受けているという。曲面壁や基壇部が特徴的で、平成19年に東京都選定歴史的建造物に選定されている。周辺地域からも残存を望む声があり、三菱倉庫がそれに応える形で部分的に残すという決断を下した。

松杭で強固な地盤に

竹中工務店の東京本店作業所長・根本真さん

ところで、気になるのはこの建物が日本橋川の際に建っていることである。船からの荷揚げに便利だったからというのはわかるが、地盤は弱いのではないか。「それが、基礎工事がしっかりしていたので、地盤はかなり強固でした」。そう話すのは、施工主である竹中工務店の東京本店作業所長・根本真さんだ。

今回の工事はまず、古い建物の地下をくりぬくところから始まった。そして、基礎固めのために地下に埋められていた松杭を引き抜いた。その数、約1500本。埋まっていた数の合計はもっと多くて約4000本だという。敷地面積は約2900平方メートルだから、1平方メートルに1本以上、は松杭が打たれていたことになる。「密に打ったことで、今でいうケミコンパイルのような働きをして、地盤を改良できたのだと思います。長さは20メートル以上もあって、当時の技術でよく打ったなと思います。しかも、抜いてみると松は全く腐っていないんです」。

杭を打って地盤改良、これ、ベネチアと同じである。ベネチア人は干潟の上に建物を建てるため大量の木杭を打ち込んだ。一説には街全体で1億5000万本の杭が打ち込まれているという。ベネチアを逆さまにすると森になると言われるのは、ここに由来する。ベネチアが森なら、日本橋界隈は林を名乗って良いのではないか。

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