人は何かを禁止されると、むしろその物事が気になって仕方なく、逆の行動に走ってしまうもの。「開けてはいけない」という約束を破って、世界中に災いをもたらしたパンドラの失敗のツケを払い続けているというのに、まったく懲りないというのは人間だ。
「禁断」と形容されると、そこらのリンゴですら魅惑的なアイテムになってしまうが、やはり道ならぬ恋は古今東西どこの人でも興味をそそられる。いうまでもなく、万国共通の大好物である人目をはばかる恋は、文学にも度々登場し、安全な場所から男女の深淵をのぞきこみたい読者を惹きつける。
『アンナ・カレーニナ』、『グレート・ギャツビー』、『ボヴァリー夫人』、『蓼喰ふ虫』……文化や言語が違っても、危険な情事は色褪せない鉄板ネタである。
のびのび恋愛を謳歌していた平安人
日本の古典文学も決して例外ではなく、むしろ積極的に道徳に反した恋を語る。『蜻蛉日記』は裏切られた妻のやるせなさを訴え、『和泉式部日記』は愛人の(稀な)勝利を見せびらかし、『源氏物語』ときたらはいろいろありすぎて、不倫のデパートといっても過言ではない。
一夫多妻制度が主流で、政略結婚が盛んに行われていたことも相俟って、平安貴族は複数の女性を自由に訪ね、のびのびと恋愛を謳歌していた。そもそも彼らの性的な倫理観は現代とかなり異なり、「不倫」という概念があったかどうかすら怪しい。
源氏君や在原業平のごとく、綺麗な人を見かけたら愛せずにはいられないというのは平安人の掟、相手の身分さえ問題がなければ、パッションに身を任せてOK。それに従って、そこにあったのは、倫理的にアウトという「不倫」よりも、ふわふわと移り変わる心、夢中になるような「浮気」である。なんて自由、なんておおらかな時代!
その一方、地球の反対側の様子を見てみると、話はまるで違う。日本では覗き放題、夜這いし放題だったのに対して、ヨーロッパに生まれてしまった中世のレディースたちは城壁に囲まれた城に閉じ込められ、自らの美貌を恥じることを命じられていた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら