そして、ダンテは、女性の懺悔を聞き、男性の目から溢れ落ちる涙を見て、感極まって気絶してしまう。再び目を開けたら、もう2人の亡霊はどこにも見当たらず、再び強くなった暴風に吹かれていったのだ。
傲慢者が入り浸る煉獄の第一冠を訪れる時に、死んだら自分もそこにいくだろうと自覚していたダンテだが、彼は自らの政治的な敵も含めて、たくさんの人々を容赦なく地獄や煉獄に落としている。神様の教えに基づいた判断とはいえ、そこは1人の人間が勝手に出てくる幕ではない。
しかし、いけないとわかりつつも、ダンテ先生がつい刺々しいコメントを連発し、罪を犯した人々に対して説教したり、批判したりするくだりは少なくはない。そうした中でも、愛に身を委ねたフランチェスカを前にして、さすがの高飛車のダンテ先生も言葉を失って、憐憫の情に打たれて卒倒する。
本物の恋は、人を殺せるのだろうか
ダンテの時代では、不倫の原因はすべて女にあるとみんなが信じて疑わなかったので、パオロが黙って、フランチェスカが饒舌になるという構造自体は自然な流れに沿っているかもしれない。しかし、その洗練された句を読めば読むほど、妄想気味の私はダンテがフランチェスカに弁解のチャンスを与えたかったと思えてならない。
現に、彼女を悪女に仕立てることも容易にできたものの、文学に造形の深い、教養のある人として彼女の品の良さを際立たせている。本物の恋は、人を殺せるのだろうか、という問いにはダンテは直接答えないが、その代わりに愛の代弁者であるフランチェスカを誰よりも魅力的な女性にしていることから、作者自身の心の揺らぎが見え隠れするのである。
ちなみに、パオロとフランチェスカは実在した人物だが、彼らがジャンチョットに殺されたというダンテの記述を裏付ける正式な記録は何一つ残っていないようだ。真実はどうであれ、彼らの恋は燃え尽きることなく、報われなかった恋人たちの涙と苦悩に脈々と受け継がれているのだ。
おかげさまで、私は今まで平凡な人生を送り、唯一のスリルはといえば、文学の妄想に取り憑かれて別世界のことを空想することぐらいしかない。しかし、いつか激しいアモーレが私のドアにノックしてきたらどうだろうか?
それが去っていくまで大人しく待てるか、それとも飛び込んでしまうのか。その究極な選択はダンテ先生でさえ簡単に判断を下すことができなかった。われわれ平民はきっとお手上げだろう。しかし、地獄にいても、暴風に吹かれても、何もかも失っても、フランチェスカの美しさは、くすんだりしていないことだけは確かだ。そして、本物の恋は本当に人を殺せるのか、という彼女の問いは今後も未解決のままで、人々を悩ませていくことだろう。
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