ドラマやエッセイの作者として知られている向田邦子のおしゃれへの情熱には目を見張るものがあり、没後40年経過した今でも、写真に残された装いはどれもセンスにあふれている。かなりのファッショニスタだった彼女は、帽子の作り方も習っていたそうだ。
自分だけの1点ものを作っておしゃれを楽しんでいた、とエッセイにつづっているのを読んで憧れたことはあるけれど、ズボンの裾上げですら、まともにできない不器用な私にとって、レベルが高すぎてまったくできる気がしない。
できたとしても、昨今は低価格ではやりの服やアクセサリーを提供してくれる、ファストファッションブランドがちまたにあふれている。わざわざ自分で作るより買ってしまったほうが、はるかにコスパがいい。
裁縫は平安女子必須のスキルだった
しかし、昔の人々にとってすてきな服を手に入れるのはそう簡単なことではなかったうえに、選択肢もぐっと少なかった。欲しいものがあれば、工夫を凝らして自ら裁縫するしかなかったので、華やかなコーデの裏には大変な努力が隠されていたことが想像にかたくない。
平安時代までさかのぼると、衣裳を仕立てる裁縫は、女房をはじめ、女性全般にとって必要不可欠なスキルの1つだった。とくに身分の高い女性の場合、みだりに人前で顔を見せないことになっていたからこそ、ファッションは自らの存在をアピールできる数少ない方法で、色や素材の選定と組み合わせ、小物のアレンジや香りのブレンドなど、相手をひきつけるか幻滅させるかは、そのセンスにかかっていた。
男性の場合、さらに制約や決まりが多く、儀式に着ていく晴装束や日常に使う直衣や狩衣など、さまざまなパターンをそろえる必要があり、何かと物入りだった。それゆえに、好きな男性のためにきれいな衣服を仕立ててあげるのは最高のプレゼントだったし、お裁縫上手な妻に恵まれる男はラッキーだったわけである。
ファッションコンシャスな社会だったからこそ、平安時代の文学作品においても、仕立て物にまつわる話が散見されるが、『蜻蛉日記』の中にも衣服の依頼に関連したエピソードがいくつもある。そして、超ネチネチ女なだけに、この連載ですっかりとおなじみの作者、藤原道綱母(通称「みっちゃん」)は、彼女らしいタッチで、そうしたエピソードにおいても浮気夫の兼家に対する遺恨をしたためるのを忘れない。
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