お使いが手紙を落としたのも言い訳っぽく、おそらく最初から何もなかったと考えても差し支えない。夫婦でも同じ家に住まないことが多く、男性は仕事で忙しくて女性は家にこもってばかりという状態が一般的だったので、手紙は大事なコミュニケーションツール、相手に想いを届ける唯一の方法だった。それもとうとうなくなり、舞い込んできた作業依頼を機械的にこなすみっちゃんはさぞ寂しかっただろう。
衣服を裁縫しながら、呪いの言葉をブツブツとまくし立てる姿が目に浮かぶ。その怨念がたっぷりと染み込んだ糸で出来上がった着物を想像するだけで背筋が凍るが、実際はどのような代物だったのだろうか。
兼家は妻が何人もいる中で、拒否されながらも頼み続けていることを読むと、飛び抜けてセンス抜群の召物だったに違いない。描写がないかとページをあさり、新たな妄想材料を見つけて、あれこれ考えてしまう。
兼家がみっちゃんに裁縫を頼み続けたワケ
「仕立て」という小さなテーマに注意して『蜻蛉日記』を読み返すと、怒り爆発、消耗戦争、無念という3つのフェーズがくっきりと浮かび上がってくる。そして、その流れは作品全体の構造に呼応しているばかりではなく、さまざまな形で反復されている。裏切りの発見、度重なる浮気、夜離れ……。不満を訴える激しい歌、あきれ返った勢いで書かれた皮肉たっぷりの歌、沈黙……。修羅場、淡々と言葉を並べた言い合い、無視……。
読み進めると、同じようなパターンが作品の随所に散りばめられていることがはっきりと見えてきて、どのトピックをとっても、同じコースをたどって発展していくのがわかる。
真実に基づいて書かれている体になっているものの、作者の創作意識が隅々に染み込んでおり、ディテールの配置まで注意深く計算されていることが明らかだ。まさに完璧な「物語」。
『蜻蛉日記』は、紫式部の愛読書の1つだったそうだが、大先生も先輩の緻密さにうっとりしていたに違いない。蜘蛛の巣のようにきめ細かく練られているプロットに読者が引っかかっても仕方ない。多分みっちゃんの作る衣服もきっと、エレガントで繊細、気持ちよく身体を包み込み、完璧な寸法だっただろう。兼家が病みつきになっていたのはすごくわかる。
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