現代にも役立つ「戦国の忍び」諜報活動の奥義 「忍者」でも「Ninja」でもない、その実像に迫る
忍びを召し抱えなければ成果は望めない
『軍法侍用集』は戦国末期から近世初期を生きた軍学者の小笠原昨雲(勝三)が、1618年に完成させた軍学書である。その忍びの記述はすべて、武田信玄に仕えた服部治部右衛門氏信が、自ら会得した忍びの技術や心得と、彼が他国の忍びたちから得た知識などをもとに、懐中(秘伝)のものとして所持していたものを、提供されたと記されている。
全12巻のうち、忍びについての記述は、第6巻から第8巻までの3巻に及ぶ。全体の4分の1に及ぶ記述をみると、戦国の軍事にとって、忍びは重要な地位を占めていたことが窺われる。
そして、同書の忍びの記述の表題は「窃盗の巻」だ。冒頭に、忍びを召し抱えることの意義について、次のように明記されている。
戦国大名にとって、忍びを召し抱えねば、大将がどれほど戦上手であろうと、成果は望めないというのだ。敵や、足がかりとすべきところの情報がまったくなければ、敵に対し謀略を仕掛けることもできない。
つまり、戦国大名は戦上手と、忍びを駆使した謀略とが、車の両輪のように連携することで、初めて敵を打ち負かし、領国を広げることができると認識されていたわけである。
そればかりか、こちらが、忍びを召し抱えることで、敵への謀略を仕掛けるように、敵もまた同じように、こちらに忍びを放ってくるのは避けられない。それを防ぐためにも、忍びを雇い、彼らの経験と技とで、敵の忍びの潜入を防ぐことも大事だと指摘されている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら