現代にも役立つ「戦国の忍び」諜報活動の奥義 「忍者」でも「Ninja」でもない、その実像に迫る

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鎌倉期における「しのび」とは、「竊盗(せっとう)」のことだった。

『御成敗式目注池邊本』の「強竊二盗罪科事」に、「強竊トハ、強盗、竊盗ノ二也、強盗ト云ハ、賊盗律ニ云、以威力奪人ノ財宝者也、竊盗ト云ハ、賊盗律云、無威力竊盗人ノ物者也、世間ニシノビト云者也」と記されている。力ずくで人の財宝を奪うのが強盗、わからぬように盗むのが、竊盗であり、しのびと呼ばれているのだとある。

「竊盗」から「忍」への転換はいったいいつ頃のことか。これこそ、戦国の忍び成立問題の核心である。

戦国大名にとって、頼りになる忍びとは、どのような人物であったか。

『軍法侍用集』によると、他国に派遣する忍びは、よく厳選しなければならないとある。選抜にあたっての条件として、①智ある人、②覚え(記憶力)のよき人、③口のよき人(弁の立つ人)、の3つが重視されたという。忍びは、才覚なくしては務まらぬものであるといい、たとえ他に才能がなくとも、それだけで十分召し抱えておくに足る人材だとされている。

いうまでもなく、忍びとして派遣されるには、命を捨てて名を惜しみ、忠を尽くして身を捨てるという心得を持つ者こそが、重視される。戦国の忍びたちはいずれも、命懸けで任務を遂行した。いつ命を落としてもおかしくないというのが、忍びの人々の運命だった。それをものともせず、主君の命令を粛々と遂行するのが、忍びの役割であり、命を惜しまずに敵地に向かうという意味において、武士となんら変わるところがなかった。

正体が発覚したら命はない

忍びにとって、敵地は死地と同じで、もし正体が発覚したら、間違いなく命はない。敵に怪しまれず、敵のさまざまな情報を探るための工夫として重視されたのが、変装であった。

例えば、猿引(猿まわし)、尺八吹、放下(放下師、大道芸人)、占い者(占い師)、道心坊主(成人後仏門に入った僧、諸国を遍歴する僧)、商人、乞食などが挙げられている。その際に、主君の名や自分の本名、さらに紋などが付いた道具を所持することは厳禁とされていた。変装した忍びは、敵国の百姓の家にふらりと立ち寄って、世間話をしながら、敵の情報を探り出すことが肝要だとされた。

なお、このとき、自分の国を話題にしてはならず、必ず、自分がよく知っている他国のことを話題にしながら、いろいろと聞き出すことが重要だという。そのためにも、忍びは諸国の言葉に精通していなければならず、道などの地理にも詳しくなければならなかった。こうした知識は、日頃から諸国を遍歴して歩く猿引、尺八吹、道心坊主などに近づき、いろいろと尋ねることで、少しずつ蓄積していく必要があったという。

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