西岡:そこには平井先生の「図で考える目線」というものが前提にあるように感じます。例えば、渋谷の交差点を見たときに、これを図で見ればどうなるか、また、違う図ならどう見えるかというような「思考の型」がいくつもあるのではないでしょうか?
平井:そうかもしれませんね。社会というものは、あまりに複雑で、すべてを1つの型だけで見るのは難しいものです。自然科学では、雑音を削ってピュアな見方をすることもできますが、社会科学ではそれは難しい。やはり多面的な見方をして、それらを合わせた理解をすることが重要だと思います。
ミクロとマクロで見えない本質を探る
西岡:僕は、何かを深く理解する、物事を深く考えるときに、それを自分自身や、誰かに説明できる状態に持っていくことが、理解に深みを与えると考えています。受験も同じです。そのためには、文章を数式や図に変換できるかどうか。つまり、採点者にどううまく説明するかという感覚です。
平井:図で説明することによって、枝葉をそぎ落とした本質、要するに論理構造そのものを見るということですね。それをいろんな図で表現できるということは、それだけ深く理解できているということだと思います。
西岡:例えば、人になにかを説明するときに、まず「これには3つ理由があります」と宣言して、自分の話したいことを整理するという方法がありますが、これも同じだと思います。3つと言っても、1つ目はしっかりわかっていること、2つ目はぼんやり思っていること、そして3つ目はまだ考え中でわかっていないことだったりもする。でも、「3つに整理しよう」と決めてから話すと、伝わりやすくなるんです。
平井:人間、同時にいくつも考えられるなんて相当な天才ですからね。3つに分けるというアプローチには、ハード、ソフト、その関係性という切り口もあります。そのように区切って話しているうちに、新たなことを思いついたりもしますから、思考のパターンや癖として有効かもしれませんね。
西岡:そのパターンや癖の多さが、プラスになると思います。ハード、ソフト、そして俯瞰すること、賛成意見を挙げたら反対意見も考えてみることなどで思考が深まりますから。
平井:まさに西岡さんが『東大思考』で書かれた「ミクロとマクロを行き来する思考」ですね。私の言葉で言うならば、「ビッグピクチャーで考える」ということです。全体を見たり、中の構造を見たり、それを行ったり来たりするという訓練が必要でしょう。