元野球選手「ウーバー配達員」経て見つけた天職 後輩のために現役引退後の道しるべを作る
「まったく結果を残すことができないまま5年目のシーズンが終わり、自分でも『そろそろかな?』という思いはありました。同時に、『もう、いいかな?』という思いもありました。まったく完全燃焼はしていません。
ただ、疲れだけがありました。大好きだった野球がだんだんイヤになっていく。『こんな気持ちのままで野球を続けるのはキツイな』って思っていました。だから、戦力外通告を受けたときは、正直ちょっとホッとした部分もあったんです。ストンと力が抜けてラクになったんです」
周囲から大きな期待を寄せられながらも、結果を残すことができない。潜在能力を評価されて入団したにもかかわらず、本来の実力を発揮することができない。戦力外通告を受けたことで、そんな葛藤からようやく解放された。ユニフォームを脱ぐことが決まって、「ようやく自分に足りないものが見えた」と友永は言う。
「プロ野球の世界に入ってくる人は、本来ならばみんないいものを持っていると思うんです。でも、自分の場合は本来持っていたいいものを捨ててしまっていたんです。
多くの人から、さまざまなアドバイスをもらってそれを取り入れているうちに、自分にとって大切な『芯』をなくしてしまいました。気がつけば社会人時代の打ち方を忘れてしまっていた。あの当時の打ち方をしようと思っても、もうできなくなっていました。何でもかんでもイエスマンではいけなかったんです」
考えた末に決断したトライアウトへの参加
自分の芯を失ってはいけない――気がついたときにはもう遅かった。戦力外通告を受け、改めて自問自答する。
「もう一度、挑戦すべきか否か?」。考えた末に友永は決断を下す。
「当初はトライアウトを受けるかどうしようか迷っていました。完全燃焼というわけではなかったけど、『野球はもういいだろう』という思いがあったからです。でも、第2の人生に向けて準備をしていたところ、祖父が体調を崩したので、九州までお見舞いに行きました。
そのときに、『どんな形でもいいから、野球を続けてほしい』と言われて、『祖父に生きる勇気を与えたい』という思いでトライアウトに参加することにしました」
現役続行を望んでいたのは祖父だけではなかった。夫と離婚後、息子の活躍を心の支えにしていた母、そして妹も、友永がグラウンドで躍動する姿に勇気を得ていた。
「祖父だけではなく、母も妹もみんなで応援してくれました。僕が野球を続けられたのは家族のおかげでした。誰よりも応援してくれたのも家族でした。家族のみんなが、『もう一度、プレーする姿が見たい』というのならば、『よっしゃ、もう一度最後にいいところを見せてあげよう』、そんな思いが芽生えてきました」