元野球選手「ウーバー配達員」経て見つけた天職 後輩のために現役引退後の道しるべを作る
「プロ野球選手・友永」から解放されなかった
「番組に出演した反響はすごく大きかったです。まったく野球に興味のない人からも、『テレビ見ましたよ』って言われたり、『自分も頑張ろうと思いました』って言われたりしました」
昨年末に放送された『プロ野球戦力外通告』に出演した友永翔太は笑顔で振り返った。東海大相模高校から国際武道大学、社会人の日本通運を経て、中日ドラゴンズからドラフト3位指名を受けたのが2014年ドラフトのことだった。
友永の能力を高く評価していたのが当時、中日GMを務めていた落合博満であり、入団と同時にあの福留孝介も背負っていた背番号「1」を与えられる期待の新星だった。
「『重荷』という言い方はしたくはないんですけど、背番号の件も含めて、いろいろなプレッシャーがあったのは事実でした。どこにいても、どんなときでも常に気を張っている。『プロ野球選手・友永』というものから解放される瞬間はありませんでした」
ルーキーイヤーとなった2015年は開幕一軍こそ逃したものの、4月には一軍に昇格。7月5日の対読売ジャイアンツ戦では、あの菅野智之からプロ初ヒット、初盗塁を記録する上々の活躍を見せた。
しかし、その後はなかなか結果が出なかった。「今年こそ」と奮闘を続けるものの、時間だけがいたずらに過ぎていく。気がつけば背番号は「62」になっていた。そして、2019年オフ、友永は「その宣告」を受けた。