海なし県でも山梨が「マグロ」消費額2位のナゾ あの名将・武田信玄も好んで食べていた??

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沼津から一晩かけて苦労して運んだマグロなどの生魚だが、冷蔵・冷凍技術もない時代だけに、いくら魚尻点とはいえ、どうしても鮮度は落ちてしまう。そこにすし文化が広まるポイントがあった。

すしを所望する江戸から赴任した勤番士の存在と、鮮度が落ちるマグロや他の魚の調理法。その2つの要因が相まって、すし職人の技術で魚を酢で締めたり、漬けにしたりして独自のすし文化が形作られていったという。

生のネタではなく、締めたり、漬けにしたり、ひと仕事加えたネタですしを握っていたのである。

山梨ですしが広まったもう1つの背景に「無尽」の存在がある。無尽とはこの地に古くからある慣習で、古くは相互扶助の民間金融制度だったが、今では気の合う仲間との会食や旅行などのコミュニケーション手段となっている。ハレの日にみんなが集まる場としてすし店の座敷が利用され、会食にマグロやすしが提供され、座敷付きのすし店が増えていった。

あの信玄がマグロを食べた可能性は?

武田神社(写真:筆者撮影)

山梨ですし文化が広まったキーワードは「魚尻点」と「無尽」、そして「勤番士」だった。海なし県の独自の食文化の背景を検証したが、最後に大きな疑問が残った。京の都に憧れ、また海にも憧れていたと言われる武田信玄は、果たしてマグロを食べたのかどうか?

マグロや生魚の運搬に関する文献の記述、勤番士の登場した時代などからすると、甲府でのすし文化、マグロ文化の広がりは江戸時代後半以降と思われる。

山梨名物の煮貝(アワビを醤油ベースの煮汁で煮浸しにした加工品)にしても、文献に出てくるのは江戸時代後半。つまり、信玄は煮貝もマグロも食べていなかった可能性が高い。

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