ピクサーに根付く「トイ・ストーリー」の遺伝子 ある日本人社員が振り返る「ピクサー」の25年
前例のない挑戦だった
――入社当時のことを教えてください。
私が入社したときは本当に小所帯で、コアの社員は10人ぐらいでした。エド(キャットムル・ピクサー前社長)をはじめ、シニアレベルは博士号を持っている人ばかり。教えてもらうことだらけで、まるで学校のようでした。
入社時はジュニア・テクニカル・ディレクターという肩書。要は何でも屋さんです。レイアウト、ライティング、CGのバグの改善、アニメーション以外は何でもやりました。途中でストーリーもいろいろ変わったりして。もう夢中でしたね。
前例のない挑戦でした。スケジュールも、どうやって人を動かすかも、何も決まっていない。コンピューターの容量がどれぐらい必要かもわからなかった。スタートアップ企業が長編映画を作っていたわけですから。
トイ・ストーリーができたとき、実感はありませんでした。打ち上げパーティーではじめて大きなスクリーンで見たときは、感動というよりも、どうやってここまで作ってきたのかなって。これまでのことや、つらかったことばかり思い出していた気がします。
映画が公開(1995年)されて、周りから大きな反響をもらいました。その時にはじめて、「すごい映画なんだ」と思いました。歴史に残る映画に参加できたんだとそのときはじめて感じました。
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