関口宏「歴史を辿らねば今の自分もわからない」 あるようでなかった近現代史番組の作り方
――単に政治史ではなく、外交や経済、民衆の感覚などに幅広い視点に加え、興味深いエピソードも交えている点も勉強になります。毎回の番組を作るにあたって、関口さん自身はどういう準備をされているんですか。
関口:スタッフと協力して、確実に実証されている事実関係を押さえるようにしています。例えば、1871年の回なら、1871年にどういう出来事や事件があったのかという事実関係を並べる。この段階ではまだ「点」ですが、保阪さんとのやりとりを通じて、点が線になっていくようにしているんです。
だから、細かい台本はありません。その場その場で感じた疑問や感想を、そのまま言葉にしています。
明治の最初から発見の連続
――番組を1年間続けて、関口さん自身、近現代史を見る目は変わりましたか。
関口:それはもう、明治の最初から発見の連続です。例えば、徳川慶喜が大政奉還をした後、旧幕府軍と新政府軍が戦いますよね。実はこのとき、兵士の数は旧幕府軍の1万5000人に対して新政府軍は4000人ですから、旧幕府軍のほうがかなり多いんです。でも、新政府軍が勝ってしまった。
いったい、なぜ新政府軍は勝てたのか。保阪さんが番組で指摘したのは「錦の御旗」が重要なカギだったということです。新政府軍は、錦の御旗を掲げることで、天皇の軍であることを兵士に示した。それで一気に士気が高まり、逆に旧幕府軍は戦意喪失に陥るんですね。
しかも驚くことに、その錦の御旗は想像で作られたといいます。この戦いの勝敗は、新政府軍の演出が大きかったわけです。
あるいは、1888年に憲法草案を審議する会議が始まりますが、その初日に伊藤博文が演説するんですね。伊藤はそこで、ヨーロッパではキリスト教という宗教の機軸があるのに、日本では宗教の力が弱い。だから皇室を国の機軸にするということを語る。
つまり、キリスト教の代替物として天皇中心の国家を作ろうとしたんですね。それを知って、近現代史を見る目が大きく変わりました。
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