不安な現代人こそ「礼」が必要になる意外な理由 われわれは日常を失いつつある
聖書より古い歴史に衝撃を受けた欧州
中島:前編では、概念が旅をするということをお話ししました。このことのすごく面白い具体例があります。16世紀以降にイエズス会やその他の宣教師が世界中に行くと、聖書よりも古い歴史があることに衝撃を受けます。例えば中国などは、神の創造の手前に歴史を持ち、しかも神なしで社会がなんとか回っているわけです。
その情報がヨーロッパに行って、知識人たちを刺激します。ライプニッツもその一人ですね。彼は20歳から亡くなるまでずっと中国の本を読んでいます。最晩年に書いたのが『中国自然神学論』でしょう。
哲学者の坂部恵先生が千年に一人の天才とおっしゃったライプニッツが、中国のほうをずっと見続けていたとはどういうことなのか。それは中国の概念が旅をしているわけですよね。つまり、朱子学と言ったほうがわかりやすいかと思いますが、宋から明にかけて成立した性理学の概念が旅をして、「理性」のようなヨーロッパ近代的な概念を洗練する一つのエンジンになったのです。
中国と西洋との出会いということでいえば、2018年にガブリエルさんに初めて会ったとき、いきなり中国哲学の話をされて度肝を抜かれました。
ヨーロッパの中国学者なら中国に詳しいのは当たり前なのですが、欧米哲学を専門にする人で中国哲学を理解している人には、会ったことがありませんでした。また、東西の哲学を単純に「比較」すればよいわけでもありません。それは前提となるものをほぼ温存してしまいます。
ところが、ガブリエルさんは中国学の枠組みを軽々と飛び越えて、ドイツの哲学伝統に深く根差し、フランスの現代思想も、アメリカの分析哲学もよくわかったうえで、普遍化を目指す論を立てているのです。