田中:思いました。今でこそ金融機関は大変だと聞きますが、当時はそこまで大変ではありませんでしたし、給料もまあまあでした。だから「いいかな、このままで」と思ったこともあるのですが、転職のお誘いを受けて一歩を踏み出し、生活雑貨メーカーのスタジオクリップという会社に転職しました。そこに1年勤めました。
三宅:それは起業準備のための転職ということですか。
田中:やはり商売をしたくなったのです。金融機関を辞めてどの会社に行こう、と考えていたとき、たまたま2社からお誘いをいただいて、そのうちの1社に勤めました。
三宅:「起業したいからすぐ辞めるかもしれないけど、いいですか」みたいな感じですか。
田中:そうです(笑)。入社するときに「いずれは自分で商売をするつもりなので、すぐ辞めるかもしれません」とは伝えました。それでもいいと言ってもらえましたが、でもまさか、たった1年で辞めるとは思わなかったでしょうね。
三宅:そうすると、たった1年で何かをつかめたのですね。
田中:まだ小さい会社でしたので、何でもさせてもらえました。すると自分は企画をしても売れるものを作れるし、営業をしてもトップ。「ああ、これなら自分でもできる」と自信がついて、退職して自分の会社を始めました。
2~3年苦しんで気づいたこと
三宅:その頃は、もう夜逃げや自殺は怖くなくなっていたのですか。
田中:だいたい商売を始めるときは、変な高揚感といいますか、万能感といいますか、自分なら何でもできると錯覚しているものですから。そしてその後、現実を知る(笑)。
三宅:最初から眼鏡を手掛けたのですか。
田中:いいえ、最初は雑貨でした。自分で生地を仕入れ、その生地を裁断屋さん、つまり布を切る工場に送って、そこで切ってもらったものを、今度は縫製屋さんに渡して縫ってもらって、上がってきたものに自分で値札を付けたり、商品の中に型崩れを防ぐ紙の詰め物を入れたり。そうやってできた商品を卸していました。
三宅:その生地を裁断、縫製して作るものは、全部ご自身のアイデアによるものですか。
田中:そうです。デザイナーは別にいましたけれども。
三宅:そういう意味では、バリューチェーンのプロデュースをしていたわけですね。
田中:そうですね。でも、自分で商売を始めてみたら、勤めているときは同じような仕事をしてうまくいっていたはずなのに、うまくいかないのですよ。何でだろうと思ったけれど、そのときはまったく理由がわかりませんでした。後でわかったのは、勤めていたときのほうが、ちゃんとお客様のことを考えた仕事ができていたということです。ところが自分で商売を始めたら、売り上げや利益が自分の生活に直結しているものだから、いつの間にかお客様視点が欠けてしまっていたのです。売れない、おかしいな、おかしいな、と思っていたら、そういうことでした。
三宅:たいへん興味深いお話ですね。そのことにはどのぐらいで気づかれたのですか。
田中:2~3年苦しんで、やっと業績が挽回した後です。
三宅:挽回してからようやく気づいたということですか(笑)。業績が伸びたのはなぜだったのですか。
田中:初めのうちは何か作っては、ちょっと売れたり売れなかったりを繰り返していました。そんな中、たまたまエプロンを作ったら、それがすごくヒットしたのです。さらに盛岡のお客様から大量に発注が来て、ようやく一息つけました。
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