ジョブズの趣味はもっと控えめで、華美を誇張することを嫌った。いくら大金持ちになっても派手に走ることがなく、室内も質素だったようだ。なにより奇抜さを嫌い、1991年にローリーン・パウエルと結婚してから住んだ家は、パロ・アルト旧市街のこぢんまりとした家で、決して巨大で個性的な邸宅ではなかったという。
バング&オルフセンやリンソンデックのオーディオ機器、ベーゼンドルファーのピアノ、アンセル・アダムスのプラチナ・プリントといった趣味も悪くない。いずれもシックで、遊びの中に真剣さを感じさせるプロダクトや作品である。
不思議なのは、こうした個人的な好みや趣味やセンスを、彼の場合は大量生産される工業製品の中に持ち込んだことだ。極めてまれなことと言っていいだろう。奇跡的と言ってもいいかもしれない。
大量生産可能な工業製品について知るためにティファニーのグラスなどを研究したというが、そういう問題ではないだろう。どんな魔法を使ったのかわからないが、とにかくパーソナル・コンピューターや携帯電話といったガジェットに、彼は「スティーブ・ジョブズ」という1つの個性を持ち込んだ。そのような形で現れるのが、アーティストとしてのジョブズなのである。それは作家性と言ってもいいだろう。
考えてみよう。デル・コンピューターにマイケル・デルの作家性を感じるだろうか? HPのコンピュータに表現者としてのデイブ・パッカードやビル・ヒューレットの存在を感じるだろうか? Windowsをはじめとするマイクロソフトの製品に、ビル・ゲイツの作家性を感じることはないし、アマゾンにジェフ・ベゾスの思想性は感じない。アマゾンに感じるのは徹底した無思想性だ。それはそれで個性的だが。
たしかにテスラという高級車には、イーロン・マスクの作家性が感じられないことはない。しかし1台が数百万円、場合によって1000万円以上もする電気自動車は、一部の人たちのぜいたくな嗜好品と言っていい。一方、PCやスマートフォンやタブレットは何十億もの人たちが使っているコモディティーである。そのなかにあってジョブズが関わった製品は、どれも際立った作家性を感じさせる。
ジョブズが世に送り出した製品には文体がある
大量生産される工業製品の中に、いかにして彼はアーティスティックなものを持ち込んだのか。誰もが手にするガジェットに感じられる統一感のあるトーン、「文体」はどこからやって来るのだろう。そう、ジョブズが世に送り出した製品には文体がある。
とくにiPodやiPhoneやiPadなどは、数行を読んだだけですぐにわかるような強い文体をもっている。
青白い炎を思わせる文体は美しく、美しさの中に陰影がある。明るさの中に漂う悲しみがある。はしゃぎまわっていた子どもがふと塞ぎ込むような、デリケートで繊細な感じがある。こうした文体がどこからやって来たのか、またどこへ向かおうとしているのか。それをうまく言葉にできれば、僕たちはジョブズという人間に少し近づいたことになるだろう。
(第9回に続く)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら