面白いことに、ジョブズが関与した製品一つひとつの細部を見れば見るほど、彼の関与はぼんやりしたものになる。ジョブズという人間の痕跡が消えていくのだ。言うまでもなく、どのマシンもジョブズが1人でデザインしたものではなく、多くのエンジニアとデザイナーの共同作業によって生み出されたものである。この常識的な視界の中でジョブズの存在感は薄く、彼の関与の跡はほとんど見えない。
たしかにマッキントッシュ・チームに「週90時間、喜んで働こう!」というTシャツを着て働かせたのはジョブズだ。「値段のことは考えず、コンピューターの機能だけを考えてみてくれ」とか「このデバイスが世界を変えるんだ」とか「宇宙に衝撃を与えるようなものを作ろう」とか言って、チームのメンバーに魔法をかける能力には長けていたかもしれない。
飛べと言ったのに飛ばない人間を馘首(かくしゅ)にする決断力と非情さも持ち合わせていた。だからと言ってジョブズはアーティストと言えるだろうか。
彼は「アーティスト」である
言えるのだ。ほかに言いようがない。彼は「アーティスト」である。ただ、そのアーティスティックな感覚は奇妙な形でしか現れてこない。普通の作家のように、1枚のタブローや1つのオブジェではわかりにくいのだ。ためしにジョブズが手がけた主な製品を並べてみよう。
Lisa (1983)
Macintosh (1984)
iMac (1998)
iPod (2001)
iPhone (2007)
iPad (2010)
これらのプロダクトから否応なしに感受されるのは、1つの共通したトーンであり手触りでありテイストである。
表面的な印象を言えばシンプルでありすっきりしている。派手さはなく、これ見よがしに機能を誇示するものでもない。どれも安っぽくない。俗悪だったり下品だったりしない。ピュアな明るさを感じさせる。この手のガジェットにありがちな冷たさがなく、どことなく温もりを感じさせる。モーツァルトの作品にも似た、古典的と言ってもいいような気品がある。
たしかにジョブズがもって生まれたセンスではあるだろう。彼には身に付いた品のよさがある。大金持ちになっても富を誇示することはない。ビル・ゲイツのように慈善活動にはほとんど関心がない。慈善活動や人道支援のための基金をつくるのは、富の誇示とは言えないまでも、大富豪であることを看板にした振舞いではあるだろう。