――俳優としての視点と、プロデューサーとしての視点の違いがあったということでしょうか。
僕は製作委員会という言葉すらあまり好きではなかったんです。でも今回の映画を公開するにあたり、製作委員会を組織しています。実際にやってみて、どういうふうに使えばいいのか、ということがわかってきたし、それは1つの考え方なんだろうなと思いました。そういったことを1つひとつ確かめながらということですね。
ハリウッドでは、ショーン・ペンにしても、ロバート・デ・ニーロにしても、ブラッド・ピットにしても俳優が映画を作っています。かつては日本でも伊丹十三監督がいましたし、最近では山田孝之くんがプロデュースをやっていますが、それでもなんで日本ではそういうことが当たり前に活発じゃないんだろうという気がしていたんです。やれることはきっとあるはずだと思っています。
「映画館に行く意味」を改めて考えたい
――コロナ禍の影響で、映画館では新作が上映できない状況が続いていましたが、この作品も含めて、少しずつ新作が公開されるようになってきました。やはり新作が映画館で上映されるということの意義は大きいのではないでしょうか。
実際は大変です。僕らも映画を観てもらうために、宣伝プランを長いスパンで考えてきました。しかしこういう状況になって、劇場で観てもらうために作った作品が、劇場で観ることができないという現実がある。
行定勲監督の『劇場』が、配信と劇場で同日公開して、これが今後どうなるのかというのは注視していますし、僕自身、配信は無視できないだろうなという意識もありました。この映画も8月に公開するべきかどうかは議論しました。
――結論として劇場公開を選択した。
振り返れば、これまでもテレビや、ビデオ、配信など、いくつものプラットフォームが出てきましたが、その中でも映画館はずっと残ってきた。映画館の暗闇の中で、大きなスクリーン、大きな音で観ることは、動かすことができない確固たる体験です。一度体験すればわかるはずだと思うんです。
それに映画館は映画を観るだけの場所ではありません。1人で家に居たくないとか、今日は外に出たいなとか、デートの目的としてとか……。そうしたいろんなシーンで映画館に行きたいなと思う。映画の中身だけが「映画」ではないと思っています。配信は世界中の人に観てもらえることができますが、「映画館に行く意味」はなんだろうと改めて考える必要がある。でも行けばわかると思うんですよね。この映画もそういう1つの体験になればと思っています。
(一部敬称略)
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