――先ほど、映画界に対する疑問という話をされていましたが、今回の映画プロデュースでその疑問は解消されましたか。
全然解消できなかったですね。やっぱりそのまま置き去りにしなきゃいけなかったこともあるし、そこにこだわっていると全然進まないこともある。解決できたこともあれば、解決できなかったこともある。そして実際にやっていくうちに、新たな疑問が生まれてくる。
例えば今回のコロナの中で、劇場公開か配信に切り替えるかという問題がありますよね。また、それぞれの立場で守りたいもの、壊したいものもあります。そこに対して、今までなら「そうなのか」と引いて見ることもできましたが、プロデューサーとなれば、そこに対して物を言うなり、アクションを起こさないといけなくなる。
やはり映画となると、いろいろな方が関わっていただいているわけですから、自分の理念や信念だけでは通せない。それぞれにビジネスの方法論や、映画への思いがあるわけだからそれはないがしろにできない。情熱的である一方で、クールでなければいけないんだと思います。
監督のやりたいことを重視
――大きな作品を作るプレッシャーから、外山監督が保守的な方向にバランスをとってしまいそうになったときもあったそうですが、それを豊原さんと小泉さんが「それはやめようよ」と監督の背中をたたくような部分が多かったと伺っています。
外山文治監督作品なので、監督の思いを純度高く持っていてほしいということはつねに言っていました。それは監督のやりたいことをハッキリさせなきゃいけないということなんです。監督がやりたいことを確認した後に、そこからズレた部分が見えたら「そこはズレているんじゃないか」と言っただけです。
本来、プロデューサーはそんな余計なことを考えなくていいんじゃないかとは言われます。プロデューサーは、もっと商業的な視点に運んであげなきゃいけないんだと。だけど今まで自分が、マーケティングとか、そういうことを考えながら作られたものに対して懐疑的に見てきたのに、それを自分がやったら、自分らしくないし、後悔すると思うんです。
幸せなことに、こうやって作った映画を東京テアトルさんで配給していただき、映画館で公開できる。ここまでできたということが、自分でもちょっと信じられないです。本当に多くの人の力を借りてできているんだ、というのは感じていて。先ほどお話しした疑問というのも、いくつかは八つ当たりの部分もあるかなと。そういうのもやってみて初めてわかってきましたね。
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