「ベルトーネの総力を挙げて作ったモデルは、よくできていました。しかし、その製造原価は、フェラーリの同ランクのクルマと比べて2倍以上だったのです。いくら何でも、新興のランボルギーニがフェラーリの2~3倍もの価格のクルマを売るわけにはいかないでしょう。そこで閃いたのです」とスタンツァーニ。
「それならボディも内製化すればいいではないか」「なぜそんなクルマ作りの重要なことを他人まかせにするのか」とスタンツァーニは考えた。
モデナのメーカーにとって、スーパーカーのボディはトリノに任せるというのが当時の常識であった。だから、「そんなことできるわけがない」とスタンツァーニは皆から諫められたし、当のベルトーネも「ああどうぞ。できるものならやってみなさい」とバカにした対応だったとスタンツァーニは笑う。
しかし、結論を言ってしまえば、それは“できた”のだ。
旧知のシャーシ作りの達人、マルケージ社(ミウラのシャーシも彼らの仕事だった)の協力を得て、軽量化と剛性を両立するような鋼管パイプを組み合わせたシャーシを完成させた。そこに社内でボディパネルと内装を組み付けるというのが、カウンタックのボディ製造プロセスであった。
ストーリーの裏にキーパーソンあり
この設計変更により、当初のモノコック構造よりも軽量で高い剛性を持つボディが完成した。もっとも、スタンツァーニは用意周到にフェラーリ「テスタロッサ」や「250GTO」という名車を手がけた、カロッツェリア・スカリエッティの腕利きをこのプロジェクトのためにこっそり引き抜いていた。
そんな、スタンツァーニの蒔いた種のおかげで、カウンタック製造に関する外注コストは考えられないほど低く抑えられていた。それが、裁判所管理下という劣悪な経営状況の中でも作り続けられた、大きな理由なのだ。
「困難や新しい挑戦であるほど、やる気が出るのは、私の持ち合わせた悪い性分です。この“明日でもできることは、今日中に完成させろ”というのが新興メーカーであったランボルギーニのDNAでもあるのです」と、スタンツァーニがかつて語ってくれたことを思い出す。やはり名車の影には、然るべきキーパーソンと素晴らしいストーリーが存在するのだ。
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