元特殊部隊員が「尖閣諸島」に隠密上陸した事情 異色の書き手が語るドキュメント作品の舞台裏

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伊藤:そうですね、私も反省しています。ただ、昔は鰹節工場があって人がいたのでしょうけれど、今生存している人間で山頂まで島に入ったのは、私だけではないかと思います。だから、もっと政治家でも警察でも自衛隊でも研究者でも、あの島のことを本気で知りたいのなら私に話を聞きに来たらいいのにと思うのですが、あんまりいらっしゃいませんね……。

成毛:さすれば、私が聞きましょう(笑)。島の山頂までの道のりに、動物はいるんですか? 植生は?

伊藤:海に近い場所はまだしも、山に入っていくと、ここから先は100年以上人が入ってきていない、とわかるんです。自然界の絶対ルールである共存というものが侵された形跡がないんですよね。ヤギは人が持ち込んだもので、現在は増えて数千頭もいるそうですが、人間が1歩でも足を踏み入れると、そのレベルをはるかに超えた不協和音の残響のようなものがあるんです。それがまったくありませんでした。

ヤギ、蛇、昆虫、木、草、こけなどは無論のこと、岩、土まで、すべてのものが同調して食べて食べられるという生態系のサイクルを維持しながら、共存していると感じました。

ノンフィクション以上のディテール

成毛:ヤギは「1978年の灯台建設時に食料用として2頭持ち込まれた」と文中にありますね。『邦人奪還』のこういうディテールはノンフィクション以上ですね。例えば、ここはそれがよく出ています。

藤井は顔を歪ませた。失策に気づいたからである。表情を戻し、フィンを外して、それをバックパックにくくりつけて、砂浜から草薮のほうにゆっくりと歩きだして立ち止まり、また顔を歪ませた。その失策が深刻な問題だったからである。
その失策とは、虫の音だ。
コオロギとバッタ類の虫が、無数に鳴いている。山に向かえば向かうほど盛んに鳴いている。人の住む地ではありえない音量が島全体に響いている。
平和の象徴の虫の音だが、スネークオペレーションにとっては最大の敵である。連中の拠点に近づく際、1分間で4メートル前進する計画だった。このスピードなら、相手が人間であれば10メートル圏内を通過しても決して気づかれない。しかし、自然界の生き物はそこまで呑気ではない。わずかな異音を察知し、鳴き止む。突然、虫の音が一斉に止んだら、いかに鈍感な人間でも、何かの接近に気づく。
のっけから予想外の敵が現れたが、どんな作戦計画にも必ず失策は含まれているものだ。そもそも事前情報がすべて正確なわけではないし、人はミスを犯すものなのだ。

成毛:この「スネークオペレーション」とはどういう動きですか?

伊藤:気配を出さない匍匐前進(ほふくぜんしん)のことで、こうやります。

<実際にやってみせる伊藤。床にうつ伏せに寝転がり、両手を伸ばして指を合わせつつ、くねくねと尺取虫のような動きで、無音だがスピードはまったく出ない>

成毛:絶対に無理です。

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