心のこもったあいさつは、威力満点 するべきあいさつより、したくなるあいさつを

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私が40年近く住む近所に、15年ほど前に同時に越してきた3軒の家があります。家の位置的に、1日に何度も顔を合わせる家族なのですが、2家族は両親から幼児までみな、あいさつが苦手なのかもったいないのか、いつも気づかないふりを通すのでタイミングが合わず、彼らに対する限り、私まであいさつができない人間になり下がっていました。

徹頭徹尾、それならそれで割り切ればいいのですが、たまに忘れてこちらからあいさつを送ってしまうと、3割の確率で先方も渋々あいさつを返してきます。家の前で彼らの姿を見つけると、これはあいさつを仕合う3割のケースなのか知らないふりをしたほうがいいケースなのか、迷ったり気まずかったりする関係が何年も続きました。

それで日常生活でそこまで気を使うのがバカらしくなり、彼らが家へ入りかけている後ろ姿にさえ「こんにちは!」「お帰り!」「行ってらっしゃい!」等々と景気よく、声をかけるようにしました。綾小路公麿ではありませんが「それから15年」。

本当に最近ですが、先方もそのような考えに至ったらしく、両家の夫君とも、私の後ろ姿にまで元気よく声をかけてくれるようになったのです。それだけで平和ムード、元気ムードが路地に漂います。このときの小さな感動がありましたので、飯田様のご経験にも敏感に共鳴しました。それで思ったのですが、彼らは愛想が悪い人たちだったのではなく、あいさつのタイミングを覚えていないだけだったのではないかと思うのです。

当時、ヤングママだった女性陣とは、かなり自然にあいさつが交わせていますが、いまだに残った問題は子供たちです。ぴかぴかの1年生の中学の制服を着たうれしい日でさえ、何か声をかけようとする間もなく、うつむいてこそこそと走り去っていくのです。完全にしつけの問題ですね。昔の大人は他人の子にも「ごあいさつは?」と促したものですが、今どきそんなお節介をすれば、逆に恨まれかねません。

ともかく3割のラインを迷っていた時代とは格段に、毎日のように顔を合わせる彼らとのすれ違いにストレスがなくなったのは、随分、私にとってラッキーな出来事です。たかがあいさつですが、まさに人間関係の潤滑油だと思いました。

あいさつで人間の善悪を判断される

年齢そのほかで上下関係がある場合、若い人たちを見ていると、目や表情であいさつをしたつもりの人がけっこういます。特に上の人を無視しているわけではないのです。本人の心はあいさつしたのですから。

上の人には伝わっていないのですから、このあいさつはあいさつではありません。とても優秀な人が欠礼すると不遜な態度となり、“たかがあいさつ”で問題が複雑にこじれる場合があります。

普通の人の欠礼だと、育ちが悪いだけにとどまりそうで割に合いませんが、「実るほどこうべを垂れる稲穂」のことわざは、こういったところからも出ているのではないでしょうか。逆に何かに秀でていてあいさつもよい人は、それだけで腰が低いなどと称賛されますから、たかがあいさつと侮れません。

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