中国の強硬姿勢を支える「田中角栄」の置き土産 第1段階合意から半年、情勢悪化のナゼ
ブラジル大豆生産者協会の最新の予測によれば、同国は今年、1億2100万トンの大豆を収穫し、アメリカを抜いて世界最大の大豆生産国に躍り出る可能性があるという。中国も輸入先をブラジルにシフトすれば、対米貿易戦争で困ることはない。
そんなブラジルの大豆畑を切り拓いたのが、田中角栄だった。きっかけはアメリカから日本への“仕打ち”だ。
現在では地球温暖化に伴う異常気象が頻発しているが、およそ半世紀前の1973年には世界中が冷却化傾向の異常気象に見舞われていた。これにより、ソ連が大規模な凶作に陥った。そこでアメリカから小麦や大豆を大量に買い付けたことから、穀物相場が高騰。当時のリチャード・ニクソン大統領が大豆の緊急輸出禁止措置をとった。
これに大慌てしたのが、日本だった。今でも大豆の自給率は約7%で、輸入の約7割をアメリカに依存している。「豆腐が食えなくなる」「味噌がなくなる」と国内は大騒ぎになった。
この経験から、首相としてブラジルを訪問した田中角栄が、当時のエルネスト・ガイゼル大統領に共同の農業開発プロジェクトを提唱。1979年から総面積2億0400万ヘクタールの荒れ地だったブラジル中部のセラード地域の農業開発協力事業が始まった。それが今では、同地域だけで世界の大豆生産の約3割を占める巨大生産地帯となっている。
相手国の輸出禁止による食料危機に備えて、田中角栄がブラジルの大豆生産に橋渡しをしたはずが、今では中国のために貢献している。田中が描いた日本の食料供給の理想を、中国が実用していることになる。
習近平が主導したアメリカ産大豆の輸入拡大
そもそも、アメリカで生産される大豆の約6割もの量を中国が買い占めるようになったのは、習近平が主導したものだ。
国家主席に就任する前年の2012年2月、当時国家副主席だった習近平は訪米している。まず首都のワシントンDCを訪れ、当時のバラク・オバマ大統領、ジョー・バイデン副大統領ら要人と会談する。翌年の国家主席就任は既定路線であり、アメリカへの「挨拶」「顔見せ」の意味もあった。だが、訪米の目的はそれだけではなかった。
会談後に習近平が向かったのが、穀倉地帯の中心にあたるアイオワ州だった。同州を流れるミシシッピ川の畔の小さな街に、当時31歳の習近平がホームステイしていたことは、以前にも書いた。
その家を再訪すると同時に、現地の大豆農家を見て回った習近平は、その日のうちに43.1億ドル分の大豆の買い付け契約を、随行してきた中国の取引業者と結ばせている。その額は日本の大豆輸入額の2年分を超える。このときから、世界最大の大豆生産国であるアメリカにとって、中国は輸出相手国のトップになった。
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