中国の小学校英語教育を阻んだ3つの批判
第1回「日本と中国『英語を学ぶ環境』の決定的な差」(2020年7月7日配信)でお伝えしたとおり、中国は文化大革命直後の1978年から小学校に英語教育の導入を開始した。しかし当時は教育現場などから批判や反発が強く、政府は全国一律の導入を断念し、英語教育に意識の高い地域から逐次導入していく道を選んだ。
小学校の英語教育導入を阻んだ3つの批判はこうだ。
② いったい誰が英語を教えるのか
③ 一生英語を使わない国民がいるのは資源の浪費
2001年に北京五輪の開催が決定されると、中国は小学校の英語教育の義務化を決定し、北京五輪開催に向け徐々に全国へ普及させていった。
当時教育部(日本の文科省)を司る国務院総理(首相に相当)は、朱鎔基(しゅようき)。「中国のゴルバチョフ」と呼ばれた朱氏は、上海市長時代に外資の導入で経済を立て直し、英語に堪能で外国での講演や記者会見は自ら英語でこなしたという。
こうした朱氏をリーダーに抱えた教育部は、「英語は単なるコミュニケーション手段ではなく、これからの国民的資質として必要。英語を学ぶことは国民に対する基本要求だ」と義務化を決めた。
当時の教育部の担当者は、導入の経緯をこう振り返る。
「当時のわれわれは、これからの社会がITの発展が地域格差をなくし、ITで世界とコミュニケーションするためには英語が不可欠だという認識でした。だから英語はこれから『国民的資質』として必要で、そのためには誰もが平等に学べるように、小学校段階から英語を学ぶべきだと判断しました」
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