日本人は中国人の英語力の高さをわかってない プライドをかなぐり捨て教育体制を作り上げた

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当時、上海の公立小学校で英語を教えていた教員はこう語る。

「1994年に数学の教員として採用されたのですが、2000年頃英語教員が不足してきたので、校長から『替わってもらえませんか』と言われて英語の担任になりました。私自身は中学校で英語を学び始めましたが、英語の成績がよかったのですね。ちょうどこの頃に英語教育のスタートが小学3年生から小学1年生に繰り上がって、同僚の中には『3年生からでも大変なのに……』という声が上がっていました」

1995年から北京の名門小学校で英語を教える女性教員も、当時の様子をこう語る。

「私が育った地域では小学校3年生から英語の授業があったので、英語は得意でした。当時英語の教員が足りない場合は、中国語(国語)や数学の教員が兼任していましたね。私が採用された当時、英語教員は2名でしたがいまは14名です」

「英語のことは英語ネイティブに聞け」

他教科との兼任や異動によって英語教員の「数」は増やせたものの、もう1つの問題は「質」だった。そこで教育部が始めたのが、「英語のことは英語ネイティブに聞け」である。教育部では、イギリスと提携した教員研修やイギリスの大学への短期留学、さらに英語圏の国々の学校との国際交流を開始。2001年には、国として初めて海外研修プログラムを実施し、各地域から教員を選抜して、アメリカやイギリス、オーストラリア、ニュージーランドに約100名を6カ月派遣した。

自治体でもさまざまな取り組みが行われた。

例えば北京市の一部地域では、研修の中にブリティッシュ・カウンシル承認の英語試験を組み込み、等級の取得目標が設定された。ほかにも「ロンドン三一学院(トリニティカレッジロンドン)」による英語試験の受験が義務付けられた。ロンドン三一学院は舞台芸術や英語の試験機関で、英語を母国語としない学生や教員向けに英語試験の証明書を発行している。

学校単位で行われた独自の研修について、前出の上海の教員は語る。

「2000年頃でしたが、夏休みを利用して外国人を呼んだ英語研修がありました。私も1カ月半ほど、地域の中学校に寝泊まりしながら参加しました。転勤した別の学校でも1カ月半のイギリス短期留学がありましたね。留学費用は国が3分の1、学校が3分の1、残り3分の1は自己負担でした。私は当時子どもが小さくて行けませんでしたが、ほかの教員は皆行きましたね」

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