IBの精神は、とにかく世界に出て行けば身に付くということでは必ずしもありません。国連でも、日本人の職員の中には私を含めて高校まで公立校だったという人がとても多かったですよ。英語は最初から話せなくてもいいのです。多様な世界に放り込まれた時に『こういうことって、あるよね』と思える力が大切なのです」
だからというわけではないが、現在小学6年生の長女は地元の公立小学校から公立中学校に進学予定なのだそうだ。進学塾には通わず、空手や書道やチアダンス、ギターに精を出しながら、同じ学校の地元のお友達同士で気軽に遊べる環境を謳歌している。大崎さんも小学校でPTAの役員を務めるなど、講演や講義で出張も多い仕事の合間を縫って学校に関わってきた。
「娘には、生涯で一番吸収力のあるこの時期に、身体性や感受性などを存分に育んで欲しいと思っています。私自身は、PTAでの活動を通じて防災訓練など地域の取組みに関わる重要性を実感しました。防災は地域の関心事。学校を地域のハブにして、地域の人たちがつながり合えるような取り組みをしていくことも重要です。IBの全人教育というのは、社会との関わりそのもの。親がまず背中を見せて、実践していきたいものです」
変わるべきは大人たち
長男Kさんは、大崎さんが勤務していた国連近くにある小規模なモンテッソーリ学校で、小学校生活を始めた。学年の枠は無く、一人一人のペースで自由に勉強したり議論したり表現させてくれるところで、これが物事を深く考えるIBへのチャレンジの原体験になったのではないかと、大崎さんは見ている。
「彼は性格的にIBに向いていたと思います。とにかく読書が好きですし、物事を深く、かつ多角的に見る訓練を小学校の時に受けていたからです。ただ、それだけに大学進学のために良い成績をとろうとか、競争心のようなものが無くて、受験に関してはやきもきしました。
英国の大学はIBスコアだけを考慮しますが、米国の大学のトップ校が求めるのは、4年間を通して学業でまんべんなくハイスコアを維持すること、スポーツや芸術などで著しい才能があること、リーダーシップを発揮することなど、スーパーな学生です。多感な時期にそんな風に邁進できるのは、ある意味で従順な子や固い意思を持った子ですよね。日本ではあまり意識されていないようですが、IBイコール米国のトップ大学への合格では必ずしもないと思います」
Kさんは現在、上智大学国際教養学部で大学生活を送る。学校新聞の編集長としてその面白さに触れたジャーナリスト、さらには弁護士など、将来の夢をあれこれ膨らませながら、猛烈に勉強したIBの2年間を経てほっと一息ついている局面のように見受ける。そんなKさんを見守る大崎さんからのこのメッセージには、思わずハッとさせられた。
「グローバル教育を進める大学連合『G(グローバル)5』ができるなど、日本の高等教育のグローバル志向が加速しています。でも、こうした教育の成果でグローバルマインドを身につけた若者が活躍できる土壌が、果たして今の日本にあるでしょうか。どんなにIBを取り入れ、どんなに海外留学を推進しても、受け皿である日本社会が多様性を尊重し、変化に柔軟にならないことには意味がありません」
教育というと、とかく子どもたちをどうすべきか、と考えがちだ。でも、本当に問われているのは、実は私たち親世代をはじめとする大人たち、さらには日本社会のありようなのだということに気づかされる。
<参考文献・サイトなど>
・『国際バカロレア 世界トップ教育への切符』(田口雅子著・松柏社)
・国際バカロレア機構
・国際バカロレア・デュアルランゲージ・ディプロマ連絡協議会
・グローバル教育を進める大学連合「G(グローバル)5」は、国際教養大学(AIU)、上智大学国際教養学部、早稲田大学国際教養学部、国際基督教大学(ICU)、立命館アジア太平洋大学(APU)の5校で構成
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