それは忘れもしない、震災から丸1年経った2012年3月11日朝のこと。首都圏郊外の自宅で目覚めた石橋哲(さとし)さんは、小学生の次男に聞かれた。
「1年経ちましたね」
「世の中はどう変わりましたか」
「あなたは何をしましたか」
「家族の仕事について調べる」という宿題のための問いかけだった、と石橋さん夫妻は記憶しているが、息子さん本人は「残念ながらよく覚えていません」。それでも、この質問に石橋さんは頭を殴られたようなショックを覚えた。
当時、石橋さんは、いわゆる「国会事故調」でプロジェクトマネジャーを務めていた。
2011年3月11日に起きた、東京電力福島第一原子力発電所の事故。事故はなぜ起きたのか。背景には何があり、再発防止には何が必要なのか。「国会事故調」はその原因究明の調査と提言を行うため、同年12月に、政府や事業者といった事故当事者から独立した調査機関として設置された。
初めて考えた、自分ごととしての「原発」
事故調は延べ1167人の関係者に、900時間に及ぶインタビューを行った。さらに、1万人を超える被災住民へのアンケート、そして東電や規制官庁に対し2000件を超える資料請求を行った。委員会は公開、同時通訳も行われ、今も動画で見ることができる。
事故調のウェブサイトからも閲覧できる報告書は、海外からの評価も極めて高く、委員長を務めた黒川清氏は、科学雑誌サイエンス発行団体AAASから「科学の自由と責任賞」を受賞。世界で知られる存在となっている。
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