飲食店を「倒産」させるコロナより深刻な問題 NY名店オーナーが20年来の店をたたむ理由
私はキャンドルに火をともし、ゼリー用のガラス容器にワインを注いだ。プルーンでは自宅でやっているのと同じ方法で調理しよう。よく油を塗った木のボウルに敷き詰められたレタス、仔牛の胸肉のロースト、ディナーの後には食べ頃のチーズを出す。野心的なシェフの間で当時流行していた、とんがった「コンセプト的」な料理でもなければ、ケータリングのキッチンで私がフリーランスとして出していたルーラードや一口サイズのフィンガーフードでもない。
現在のニューヨークでは、どの一画にも、そしてどんなに意外な地区にさえも、信じられないほど狭いスペースで営業する野心的で刺激的なレストランが存在する。だが、あの頃は違った。
「Eater」のようなグルメサイトやインスタグラムもなければ、流行の最先端を行くブルックリンのレストランもまだ登場していなかった。食通むけの特別なものが食べたければ、マンハッタンで食事をした。贅沢な肘掛け椅子に腰掛け、アルマーニのスーツを着た支配人がいるような高級レストランで食事をしたければ、アップタウンへ行った。曲げ木と藤の椅子を置き、白い長エプロンをつけたウエーターがいるような賑やかなアメリカンブラッスリーがよければダウンタウンだ。
本気のレストランで、フランネルのシャツを着たウエーターや、顔ピアスや首タトゥーのあるソムリエを雇っているようなところはなかった。イーストビレッジにあるのは、ポーランドやウクライナ系の安レストラン、ファラフェルの屋台、ピザ屋、大衆酒場、ベジタリアン向けのカフェといった店ばかりだった。1軒だけ麺類の食べられる有名な店があった。プルーン開業の5年後にオープンした「モモフク」だ。
画家や詩人、同性愛者やサックス奏者が通う店
私は、市内のほかの場所にある正統派のレストランと同じくらいおいしくて興味深い料理を提供するレストランを作るつもりだった。ただし、私の仲間や近所の人たちが気後れしなくてすむような居心地のいい雰囲気の店を、である。なにしろ彼らはイーストビレッジの画家や詩人、同性愛者、私のアパートの6階に住むサックス奏者、通りの先の「P.S.122」で果敢にも体一つでむき出しのパフォーマンスを行うアーティストたちなのだ。
たいした稼ぎはなくても舌だけは肥えている。そんな人たちが仕事帰りや休日にやってこられるような場所にしたかった。それに、それまでこなしてきた雑多なフリーランスの仕事よりは、こうしたレストランを経営した方が安定した収入が得られるかもしれない、という考えもあった。
今や街中に急増している小さなレストランを営むシェフの多くがそうであるように、私はお金やビジネスの拡大を追い求めてきたのではない。私が追い求めてきたのは、感覚的で人間的なもの、詩的で俗っぽい何かだ。
この20年間、毎晩休みなく働いてもなお、うちのバーテンダーがカクテル・シェーカーの金属のふたを閉めてマラカスのように氷をガシャガシャと鳴らすたびに、ふと作業の手を止めてしまう。塩気のあるピスタチオがラキと一緒に火であぶられ、アニスの香りがダイニングルームに漂うたびに、目を閉じて深く息を吸い込まずにはいられない。4人掛けの9番テーブルの客が満足げに話し込み、自分たちが最後の客であることにも気づかずに、ワインを飲みながら請求書に添えられたダークチョコレートをつまんで自分たちの世界に浸りきっているのを見ると、いまだに嬉しくなる。