飲食店を「倒産」させるコロナより深刻な問題 NY名店オーナーが20年来の店をたたむ理由

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そして、クルーの若い連中が自分のシフトに入る支度をしながら、廊下でおしゃべりをしたり、ハグを交わして挨拶したりするのを見て、ひそかな満足に浸る。もちろん、私は彼らの仲間入りをするわけにはいかないのだが(ボスである私はクルーに対して、少しは超然とした態度を保たなくてはならない)。

しかし、詩的な思い入れはさておき、誰だって初めて従業員に賃金を払うときには、自分はビジネスを営んでいるのだという現実をはっきりと自覚させられることになる。あの愛すべき能天気なクルーたちの生活が自分にかかっているという現実である。

開店当初は月曜定休で週6日間ディナーのみの営業とし、週425ドルを自分の収入にしていた。非常に好意的なレビューがニューヨーク・タイムズに載ってからは、店はつねに満席となった。2000年にはディナー営業をもう1日追加し、副料理長をフルタイムで雇うことができるようになった。

週末のブランチ営業を追加したのは、ビジネス上の計算からではなかった。夢のようなアイデアから始まったブランチ営業は結果的に大当たりし、開店時に出資してくれていた投資家6人分の持ち株をすべて買い取れるようにしてくれた。

2008年、私は43歳でとうとう自分のレストランの株式の過半数を取得し、正真正銘のオーナーになった。学生ローンを完済した後、私の収入は週800ドルに上がった。

夢ではなく、ビジネス判断でランチを開始

数年後、平日にランチ営業を開始したのは、夢を追求した結果ではなく、ビジネス上の判断からだった。スタッフに健康保険を提供できるだけの収益を出したかったし、極上のハンバーガーを作る自信もあった。こうしてプルーンは週7日14回の営業となり、30人の従業員を抱えるまでになった。最初の10年間は目まぐるしく超多忙の日々が続いたが、仕事は楽しく、ビジネスは大きく飛躍した。

ところが、20年目を迎えたプルーンは違う。これ以上加えるサービスもなく、コストは上昇し続け、どこかしぼんでしまったような感じだ。銀行には毎週の経費をカバーするのに必要な最小限のお金がかろうじて残るだけ。私が「自分は非営利部門で働いている」という冗談を口にするようになってからだいぶたつが、実はこれは切迫した現実であり、もう何年とそうした状態が続いている。

壁には「料理界のアカデミー賞」とも呼ばれるジェームズ・ビアード財団賞の賞状が4つ、棚には私が出演していたPBS(米公共放送サービス)のテレビ番組が受賞したエミー賞のトロフィー、そしてベストセラーとなり6カ国語に翻訳された著作が並んでいるというのに、53歳になった私はこの夏、塗装業者が使う使い捨てのつなぎを着てキッチンの床に腹ばいになり、蛇口に取り付けたホースを操っていた。

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