着いた翌朝、葉子さんはさっそくレンタサイクルで街を走り、住む場所の目星をつけました。信号待ちをする人などに、どの辺りが住みよいか聞いてみると、みな親切にこたえてくれたといいます。
地元に戻るとすぐ、勤め先に「来月で辞めます」と伝え、翌月退社するや否や、この街に引っ越してきました。彼女が地元を離れたことを知っているのは、いとこと子どもと、わずかな友人のみだそう。はじめは短期のバイトを繰り返し、しばらく経って街に慣れてきた頃、ハローワークでいまの仕事を紹介してもらったということです。
「いま、超健康なんです。精神安定剤もいらないし、風邪すらひかない。こっちに来てから、皆さんがちゃんと私を評価してくれるんです。ちゃんと『ああ、野田さんね』って見てくれる。誰も私の父親や祖父母、親せきのことを知らない。そうしたらなんか『私、生きてていいんだ』と思えるようになって。
いま、自分のなかで何かが充実してるんですよ。だから変な言い方ですけれど、明日死んでもいいと思っているんです。それぐらい、ちゃんと生きてる感があるから」
無理をして言っているわけではないことは、一目瞭然です。この街での暮らしを話す葉子さんは、文字通り輝いて見えました。彼女はこれから、もっともっと、楽しいことになっていくのでしょう。
「この前いとこと遊びに出かけたとき、なんとなく手相を見てもらったら、『あと3、4年したら、もう一回動きがある』と言われたんです。私、何をやるのかな? と思って。もう一回くらい移住してみてもいいのかな。いまの私だったら、何でもできそうな気がするんです。以前の私みたいに、『どうせ私なんか』が、前面に出ていないから。
これから何がしたいかといったら、『ちゃんと深呼吸がしたい』と思います。地元にいたときは、できてなかったんですよ。いつもビクビク、ドキドキしていたので。あとは、実母の顔をすごく見てみたい。方法がわからないんですけれど」
葉子さんにつられて私まで、これからなんでもできそうな、ワクワクとした気持ちになっていました。帰り道、電車の窓から見た富士山は、それは美しく、力強い姿でした。
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