43歳で"実家を捨てた"女性が語った絶望の過去 「シンデレラみたい」長年癒えなかった傷

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ばあちゃんにも父親にも親せきにも、みんなからいつも『お前みたいに性格の悪いもんが』とか言われていたから、『私なんか』という思いがどんどん強くなっちゃって」

子ども時代、ほぼ唯一の良い思い出は、叔父の家に生まれたかわいい赤ちゃんのことです。葉子さんが小学5年生のときに生まれたこのいとこは、両親が共働きだったため祖父母の家に預けられ、いつも葉子さんがめんどうを見ていたのです。

「私が学校から帰ったら、赤ちゃんがおるんですよ。もう、かわいくって。この子、私のこと責めないですもん。今でも昔の私を知っている人は笑うんですけれど、どこに行くにも連れて歩いていたんです。友達と遊ぶのも、ベビーカーを持って行ったり、抱っこひもやおんぶひもとかで。おむつとか全部バッグに突っ込んでいく。

そうすると、みんな自営業で忙しいから『ありがとう』って言ってくれるし、私を責めない。この子を連れとったら、いいわけじゃないですか。もうかわいくって、かわいくって。少し大きくなると、いつも手をつないだり、自転車の後ろに乗せたりして遊びにいっていました」

その後、高校は祖母や親せきの勧めで進学校に入りましたが、葉子さんの夢は美容師になることでした。祖母が美容師をしており、週末はよく結婚式場に連れられて行き、お嫁さんの着付けや髪結いをする様子を見て、その仕事に憧れていたからです。

しかし、高校に入ってから美容院でアルバイトを始めてみると、肌が弱かったのでしょう、シャンプーやパーマ剤で手が荒れて、たちまち血だらけに。美容師になる夢は、あきらめざるを得ませんでした。

「世間体ばかりを気にしている」祖母や親せきは皆、なんとか葉子さんを進学させようと説得しましたが、「美容師になれないなら、あとは何をしても同じ」と思った彼女は、高校に届いた数少ない求人のなかから仕事を選び、就職の道を選んだのでした。

結婚、離婚、精神疾患……

就職後、最初の数年は東京にいたのですが、間もなく地元に支店ができます。葉子さんも支店への異動を言い渡され、数年後にはそこで知り合った男性と結婚し、退職しました。しかし、結婚生活は決して幸せなものではありませんでした。

「小さいときからずっと『お前みたいなもんが』と言われ続けてきたので、誰かが『付き合おう』って言ったら付き合うし、誰かが『結婚しよう』っていったら結婚するんだ、みたいな感じ。恋愛でも、自分の意思が全然出てこなかったんです。それで好きじゃない人と結婚したから、当然うまくいくわけがなくて。

外面はものすごくいい人でしたけれど、婚姻届けを出した途端に『もうこれで内側の人やから、お前にいい顔することないよな』と言われ、そこから人が変わってしまって。4年くらいで離婚しました。子どもが1歳になったくらいの頃かな」

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