栄光と挫折の末に、たどり着いた境地
中村ほど、栄光と挫折の波が激しい選手は珍しい(詳しくは、過去のコラムを参照)。彼自身、「僕みたいな人生は、やめたほうがいいと思います」と、冗談めかして語っていたこともある。
20代の頃に近鉄の主軸として球界を代表する打者になったが、球界再編騒動の勃発した2004年オフ、ロサンゼルス・ドジャースに移籍する。以降、1~2年でチームを移る野球人生を続け、所属チームが決まらないまま迎えた2011年5月、DeNAに入団した。人間関係の裏でさまざまな苦労や裏切りを味わった結果、中村は野球を楽しむことをやめた。
「プロに入って10年くらいが経って、考え方が変わりました。いろんなところで転々と野球をさせてもらったあたりから、『これは楽しいだけじゃできないな』と。そう思いかけてきたとき、『仕事だな』と割り切れるようになりました」
プロ野球選手に話を聞くと、「野球を楽しみたい」という者が多い一方、「楽しんでなんてできない」と言う者も少なからずいる。後者の代表が昨季限りで引退した宮本慎也や、西武の主砲である中村剛也だ。あくまで考え方の問題だが、中村紀洋は自身の置かれた状況に対応すべく、思考法を切り替えた。
「考え方を変えたのは、いろんな汚いものを見たから(笑)。野球というものに対して、純粋に楽しかった頃はそれが見えなかった。楽しいことしかなかった。でも、いろんなことが見え出してきて、『楽しいだけでは無理だ』と。いろんなものが見えないうちは、おそらく楽しいはずですよ。楽しいことから仕事に変わっていき、使命と言うか、やらなくちゃいけないものになった。普通は、『楽しいから、やろう』となるでしょ? でも仕事になると、やらなくちゃいけないという考え方になってしまっている。その心変わりは、いろんなことを見て、いろんなことを学んできたから。今まで続けてこられているのは、野球が好きなのでしょうね。楽しいだけじゃないし、仕事だけじゃない。好きなのでしょうね」
達観、という境地に中村はたどり着いたのかもしれない。どこかでスイッチを切り替えなければ、自身のメンタルがもたない。本人が言うように、考え方を変えたから、40歳になった今も現役でいられるのだろう。
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